写真で伝えたいこと

写真でみんなに伝えたいこと、みんなに感じて欲しいこと、
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写真に対するあらゆる思いを写真家が語ります。

ゼロからの再出発で国宝を撮る

インタビュー:2014年9月3日/
公開日:2014年10月30日

Shin Yamagishi

タレント、アイドル、俳優、女優などのポートレート撮影を中心に活躍。出版された写真集は400冊を超える。5年ほど前からはグラビア写真の仕事を減らし、北海道の『ばんえい競馬』、人形作家・大竹京氏が制作する『球体関節人形』などを撮影。さらに、企業人、政治家、スポーツ選手などの男性を撮り、オリンパスギャラリーで発表している写真展「瞬間の顔」は、来年で7回目を迎える。
カメラマン山岸伸(公式ホームページ) http://www.yamagishi-shin.com/

グラビア写真はすべてドラム缶で燃やした

カメラマンの山岸伸氏が、京都の上賀茂神社(正式名称:賀茂別雷神社)の撮影を進めていらっしゃいます。ポートレート写真で名を馳せる山岸氏が、なぜ神社を撮影することになったのか、何を残そうとしているのか。山岸氏のギャラリーでお話を聞きました。

編集委員山岸先生と言えば、まず「人物写真」が頭に浮かびます。ところが、今、京都・上賀茂神社の撮影に情熱を傾けていらっしゃると聞いて、意外な感じがしました。

山岸確かに、人しか撮ってないカメラマンっていうのが僕の基本なんだけど…。5年前に病気になって、写真というものをもう一回自分の中で考えたんです。僕が撮ってきたタレントさん、俳優さん、女優さんの写真は勝手には使えないので宝の持ち腐れだし、もし僕がこの世から消えたとして、その写真はただのクズになっちゃう。だから、自分が元気なうちに、大切か大切でないかを見極めながら自分が撮ってきた写真を処理しよう、と。

最初、モノクロの取材写真は、内容もチェックしないで万力にかけて、カッターやはさみで切ったりしたんだけれど、5人ぐらいでやっても追いつかない。3、4カ月かかって大きいゴミ袋50袋ぐらいになった。それで、もう焼くしかないな、と。助手やOB達を集めてドラム缶で火をつけて燃やしました。

そして、古いものにはお別れして、新しく自分が決めたものを撮っていこう、と。その中の1つが『瞬間の顔』。6年間にわたって、『瞬間の顔』というテーマで男性を撮り続けていて、オリンパスギャラリーで発表している。その流れで今回、上賀茂を撮ることになったということです。

人とのつながりで上賀茂神社に導かれた

編集委員今回「PHOTO GALLERY」で発表していただいた写真の中に、上賀茂神社の宮司さんを撮ったお写真がありますが、もともと宮司さんをお撮りになるご予定があったということですか。

山岸ええ。上賀茂神社の宮司さんを撮るというお話をいただいていたんです。だけど、僕のシリーズの中で同じ職業の人をなるべく一緒に出したくなかったので、時期をずらしていたんですよ。

だけど、それとは別に、上賀茂神社の桜を撮る、という話が出てきたのです。実は僕は、この5年間、靖国神社で早朝4時に特別に門を開けていただいて桜を撮っています。その桜を見た方に、「上賀茂の桜は本当に綺麗だ。たくさんのカメラマンが撮りに来るけれども、ぜひ先生にあの桜を撮ってほしい」と言われた。だけど、いかんせん京都じゃないですか。お金もかかるし、桜だけ撮りに行ってもしょうがないし。それで調べてみると、上賀茂神社は、国宝で世界遺産にもなっている由緒ある神社だったので、お願いして、建物全部を撮らせてもらうことにしたのです。

すべては「仮遷宮」の撮影から始まった

編集委員上賀茂神社と言えば、来年(2015年)は式年遷宮(※)を迎えるということですね。

山岸ええ。ご挨拶に行った瞬間、来年の秋は式年遷宮だって言うわけですよ。それで、「仮遷宮(かりせんぐう)を来週やるから撮ればいいじゃないですか」って言われて、それなら建物を撮る前にまず仮遷宮を撮ろう、と。そうしたら、「仮遷宮の前日に宝物だけを別に移す。それは誰もいないし、見ておいたほうがいいですよ」って言われて、もうすごいスピードで話が進んでいって。それで、助手と3人で、車で前日に行ったわけです。

東京からいきなりTシャツファッションで行って、しきたりも何もわからないままお祓いを受けただけで、もう汗びっしょり。それで、神社の広報の方に「次の日は何時に来なさい。その時は正装してきてください」と。「えーっ、正装!?」という感じで、アシスタントは京都駅近くの量販店でスーツを買って、僕はサイズがちょっと特殊なんで東京から朝一番に新幹線でスーツを届けてもらって(笑)。

それで時間に行ったら、もう30社ぐらいマスコミが来てるんです。国宝の板の間って10メートルないんですよ。そこに30人が乗るわけ。僕は前の日に見ていたから、一番いい場所にススッと行って、パッと座り込んでもうずっと動かなかったですよ。

スタートが夜8時で、どんどん暗くなる。ストロボは使わない。本番は真っ暗がりになるわけです。曇天。いやどうしようって。背広着てるし、暑い。真っ暗だからいい写真なんか写らないんだけど、なんて言うんですかね、取材の人たちは「現場が写せればそれでいい」という感じで、バンバンシャッターを切っている。僕も助手と2人で、黒い雨合羽をかぶって液晶モニターの光が漏れないようにして、感度を上げないように長時間露光できるモードで液晶モニターを見ながら…。2時間ぐらいそうやって撮ったんですよ。それはもう大変でしたね。

※本殿を修復または建て替えをするために、ご神体を遷(うつ)すこと。上賀茂神社では、まず仮遷宮(かりせんぐう)を行って、本殿から権殿にご神体を遷し、本殿の修復後にお戻しする。上賀茂神社では21年ごとに行われている。

国宝とその修復過程を後世に残したい

編集委員その後、修復の様子を撮影されているわけですね。国宝である本殿と権殿の屋根は、ヒノキの皮を使った「檜皮葺」(ひわだぶき)という、今では珍しい工法が使われているそうですね。

山岸檜皮葺、全国的にも、もうほとんどないらしいですよ。ヒノキの1枚目の皮は、油が多くてどうしても駄目なので、檜の皮を1回剥がして次に出てくる皮を使うそうです。2回目の皮が出てくるには10年かかるらしい。僕はもともと国宝にそれほどの興味がなかったんだけど、聞いてみると、国宝は元通りに修復しなきゃならないそうで、国宝を維持するのは本当に大変だと思います。

だから僕、今これ撮るのに、スーツ着てるんですよ、ちゃんと黒のスーツを。アシスタントにはそこまで強要しないけれども、自分だけはやっぱり何かきちっとしてなきゃいけないなって。本殿を撮るときは、「正座しなさい」とは言われないけれども、やっぱり正座になってしまうし。

特別に撮っているという意味は、“ちゃんと残しておかなきゃいけない”ということです。そういう意味では、かっこいいところだけ撮って終わるんじゃなくて、残しておいて良かったなって言われるようにしたい。21年後の修復をどんな人が撮るか分からないし、カメラも撮影手法も変わるだろうけど、今の時代にできる最高のものを残しておこうと思っていますね。

今回は、オリンパスのカメラの軽さに助けられています。屋根に上がって、てっぺんのところまで行ったら、手すりにつかまって、身を乗り出して片手で撮っていますから。となると、大きな一眼レフカメラじゃ無理ですよ。ピントも音で確認するし、露出も片手で変える。カメラがすっかり手に馴染んでいるので、そういう意味での信頼感は抜群ですね。

「写真家」ではなく、生涯「カメラマン」として生きる

編集委員先生は、もともと寺社仏閣に関心を持っていらっしゃったのですか。

山岸僕はこの上賀茂にたどりつくまで、自然とか、景色とか、街とか、スナップとかを一切撮らなかった。もともとロケに行ってホテルの前の海は撮っても、あえて違うところに移動して写真を撮ることは一切しないタイプなんですよ。それが、神社の桜を撮った1枚の写真が、こういう話につながって、由緒ある神社を撮らせてもらっている。

だけど、もともとは仕事もゼロから始めているわけじゃないですか。最初は、食うや食わずのカメラマンで、いただいた仕事を大切にしながら30年間アイドルとかタレントさんとかを撮りながら生きてきた。最近、皆さん、水着を撮るとか、グラビアを撮るとか、ヌードを撮るとかをものすごく嫌いますけれども。僕も何千人撮ったかわかんないですけれども、自分の仕事をちょっと恥じるっていうか…。恥じゃないけれども、ちょっと言いづらいっていうか、そういうこともあるんですよ。僕が撮りに行くって言ったら、「ヌードとかたくさん撮っている人ですよね」って言われることもあるし。

だからといって、卑下するわけじゃないですよ。僕は職業として、お金をもらって写真を撮る。それがやっぱり自分の仕事だと思っている。だから何人もの従業員もいるし。ただ、「写真家」っていう看板はちょっと生き方が違うなと思って、自分は(芸術家ではなく、職業人としての)「カメラマン」だと思ってるんですけれどもね。

本田美奈子さんのこと、そしてカメラマンとしての誇り

山岸つい最近、こんなことがあってね。25年前に撮った本田美奈子ちゃん、僕と同じ病気(急性骨髄性白血病)で、亡くなった美奈子ちゃんのことなんですけれども(※)。

最近、ウチによく遊びに来る若い女性カメラマンが、白血病に関係するボランティアをやってるみたいなんですよ。その子が「本田美奈子さんのお母さんとこの間会いました」と。それで、彼女が僕の名前をよく出していたようで、お母さんが「山岸さんってウチの美奈子を撮ったカメラマンの山岸さん?」っていう話になって。美奈子ちゃんの部屋にまだ僕の写真集が何冊か残っているみたいで、後日、「これ1冊あなたにあげる」って。そして、「『私たち家族は、この写真集が一番好きです』って伝えてください」って。僕はそのときに、「ああ、自分の仕事をやっててよかったな」って…。

美奈子ちゃんのデビューのときの写真、天真爛漫な写真を撮って、それが写真集になって、それが美奈子ちゃんがいなくなっても、美奈子ちゃんの部屋にまだ残っているって聞いただけでもね。自分が撮ってきたグラビア写真とか、そういう写真が今でも家族やファンの方に大事にされていると思ったら、もっと自信を持って、自分がやってきたことを表に出していかなきゃいけないなって、そんなこともまたちょっと感じているんですよ。

※本田美奈子さん(1967年-2005年)は、1985年にアイドル歌手としてデビュー。『1986年のマリリン』などの大ヒットを飛ばし、その後ミュージカルでも大活躍されました。山岸先生は、2008年に慢性骨髄性白血病を患っていることが分かり、治療の一方で、エネルギッシュにお仕事を続けていらっしゃいます。