厳しい状況を生きる人々の声を伝える 安田 菜津紀

インタビュー:2014年10月16日/公開日:2014年12月3日

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

高校生のとき、NPO法人「国境なき子どもたち」のプログラムでカンボジアに赴き、青少年自立支援施設などを取材。その後、フォトジャーナリストとして、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で貧困や災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地の記録を続けている。2012年、「HIVと共に生まれる-ウガンダのエイズ孤児たち-」で第8回名取洋之助写真賞受賞。

学生時代に始まったシリアとのつながり

フォトジャーナリストの安田 菜津紀さんが、シリア難民の取材を続けています。シリアでは2011年から内戦が激しくなり、国民の約半数に当たる950万人がそれまでの居住地を離れています。国外に逃れた難民も300万人を超え、隣国のヨルダンにも60万人を超える難民がいます。安田さんに、ヨルダンにおける取材のお話を聞きました。

編集委員

シリアは距離的に日本から遠い国ですが、そもそもなぜシリア難民に関心を持たれたのですか。

安田

もともとのきっかけは、大学時代にさかのぼります。戦争や災害で親を亡くした子どもたちのための国際交流キャンプに参加して、イラクから来た子とすごく仲良くなりました。その子がイラクに帰ったときに、イラク国内の戦況が悪いために、当時は安定していたシリアに難民として逃れたのです。その子から「会いに来てほしい」というメールをもらって、シリアに行きました。そのときにシリアの素晴らしさに感銘を受けたのです。

編集委員

どんなところに心を惹かれたのですか。

安田

まずは、街々の美しさです。首都ダマスカスの旧市街地は世界遺産に登録されていて、シルクロードの時代が蘇ったかのような市場もあります。週末になると、街を一望できる山に人々が集うのですが、夕方には石壁がわっと照らし出されて、夜になるとそれが宝石箱をひっくり返したような夜景に変わります。それに、人をもてなすのが大好きというシリア人の精神も本当に素晴らしくて、いつかまたシリアに帰ってきたいと思いました。

編集委員

ところが、シリアでは2011年、南西部の町・ダラーでのデモを皮切りに戦闘が始まったのですね。

安田

ええ。ただ、あれだけ素晴らしい国が長い戦闘状態に陥るはずがないと、自分の中で高を括っていた部分があります。ところが、あっという間に全土が戦火に飲まれていきました。自分の危機管理能力では、今のシリアに入っていくことはできないけれど、周辺の国に出てくるシリア人の声は聞けるのではないかと考えて、2013年11月にヨルダンのシリア難民の取材を始めました。

難民キャンプの実情

編集委員

最初に訪れたのはどこですか。どんな印象でしたか。

安田

ヨルダンで最大の難民キャンプと言われているザアタリに行きました。難民キャンプの運営の限界は2万人から3万人と言われていますが、去年の時点で、ザアタリの難民は10万人を超えていました。

難民キャンプは、砂漠のど真ん中に忽然と現れます。砂漠ですから、昼間は刺すような日差しが照りつけるし、夕方になるとものすごい砂嵐が起きます。しかも、夜は寒いんです。

そんな場所にテントやキャラバンと呼ばれる仮設住宅がひしめき合っています。テントに10人を超える人数で2年以上暮らしている家族もいます。難民キャンプには、いったいこんな状況がいつまで続くのかという閉塞感が満ちていました。

編集委員

難民キャンプの中ではどんなことが問題になっていますか。

安田

子どもたちのストレスがとても大きいことが問題だと思います。キャンプの中でも外でも、労働は許可されていません。今まで家族を守ってきたお父さんたちが無職になり、社会から必要とされていない状況になるのは、非常につらいことだと思うのです。そのイライラは家庭の中に蔓延しいて、奥さんや子どもに当たるということが日常的にあります。

難民キャンプには学校もありますが、シリアのカリキュラムとは違って音楽や体育やダンスなどの授業がありません。そこで、たとえば「国境なき子どもたち」というNGOでは、子どもたちが歌ったり踊ったりする情操教育の特別クラスを設けています。

編集委員

NGO職員の方が教えているのですか。

安田

難民の方々が先生になっています。去年知り合ったニダさんも、その1人です。当時23歳だったニダさんは、臨月を迎えていました。彼女と話をすると、「この難民キャンプの中で、どうやって子どもを産めるんだろう。どうやって子どもを育てられるだろう」と不安ばかりが口から出てきて、いつも何かにおびえているようでした。

その後、子どもが無事に生まれたという知らせを受けて、今年の9月に彼女に会いに行ったんです。子どもを産んだ彼女は本当に見違えるようで、人前でも堂々として、生徒たちに語りかける力も格段に上がっていました。自分以外に守りたいものを得た女性はこんなにも強くなるんだ、ということを目の当たりにしました。

失われていく命…

編集委員

前向きになれる出来事があるのはうれしいですね。

安田

もちろん、そうやって生まれてくる命もあるのですが、戦争が続いている以上、失われていく命もあります。首都アンマンにシリア人のための病院があるのですが、そこで出会った子どもたちのことは思い返さない日がないくらい印象に残っています。

5歳のアナス君(仮名)は、戦車の砲撃を受けて、頭に無数の手術跡があるほどの重傷でした。私が最初に行ったときは、話しかけても反応がない。手を握っても、握り返してくれない。いつも空の一点を見つめているような状態だったんですけど、何度か通ううちに、彼がちょっと回復してきているのが見えたんですね。それで、撮影したアナス君の写真をあげると、お母さんがすごく喜んでくれて、「この子がいつか元気になったときに、この子が走り回っている姿を撮りに来てちょうだい」って、うれしそうに話してくれたんです。滞在の最後に会ったときは、身体を起こして、かすかに手を握り返してくれて、その感触は今も自分の手に残っています。

だけど、走り回っている彼の姿を撮りに行くことは、結局かなわなくなりました。私が帰国して1週間後に、彼が亡くなったという知らせが来たんです。本当に…(涙がこみ上げる)、本当にそういうときって、カメラを投げ出したくなる瞬間なんですね。なんで写真家になるという選択をしてしまったのだろうって思うんです。医者になるという選択をしていれば、アナス君のことを救えたかもしれないし、「国境なき子どもたち」のようなNGOで働いていれば、ずっと子どもたちに寄り添っていける。写真で直接的に人の命を救うことはできなくて、悔しい思いでいっぱいで…。

フォトジャーナリストとしての使命

編集委員

本当につらくて厳しいお仕事ですね。

安田

大前提のお話なんですが、伝え手ももちろんつらい思いをするかもしませんが、最もつらい状況に置かれているのは、あくまでも私たちが出会わせてもらう現地の人々です。私たちが写真を撮らせてもらったり、話を聞かせてもらうのは、かさぶたを剥がすような作業です。自分たちがどんな思いで逃れてきたのか、家族を亡くしてどんな思いをしてきたのかを反芻させてしまう。それを覚悟の上で、私たちにその経験を話してもらっている以上、それは自分たちがしっかり持ち帰らなければいけないと感じています。

編集委員

ヨルダンは日本からは遠く、シリア難民のことを身近に感じてもらうのは難しいことではないですか。

安田

確かにシリアは、日本からすると非常に遠い存在です。でも、写真だからこそできることがあると思います。私は、写真は“誰かと出会う窓”のような存在だと思うのです。(写真を指しながら)たとえばこの写真を提示して、「シリア難民の子どもたち」という説明を付けたら、遠い世界の出来事として終わってしまうと思います。だけど、アナス君という男の子がいて、どういう思いでシリアから逃れてきて、その後どんなことがあって、ということを理解してもらい、そしてアナス君と私が結んだ関係性まで写真に写し込むことができれば、それを通して写真を見る人もアナス君に出会ってくれるんじゃないかと思います。