人と人とのつながりのなかで 清水 哲朗

インタビュー:2016年10月4日/公開日:2016年12月20日

清水 哲朗 Tetsuro Shimizu

写真家・竹内敏信事務所で3年間助手を務めた後、フリーランスとして独立。独自の視点で自然風景からスナップ、ドキュメントまで幅広く撮影する。2005年『路上少年』で第1回名取洋之助写真賞受賞。2012年、写真集『CHANGE』をモンゴルで上梓。2014年、日本写真協会賞新人賞受賞。写真集『New Type』で、2016年さがみはら写真新人奨励賞を受賞。

モンゴル人の写真家が撮る世界を見てもらいたい

写真家・清水 哲朗氏は、モンゴルのエキスパートとして幅広く活躍されています。2016年5~6月に開催されたモンゴルをテーマにした国際イベントでは、その成功を陰で支えました。現在は、新しいテーマとしてモンゴル最北部に住むトナカイ遊牧民の撮影に取り組んでいます。何がこうした精力的な活動を支えているのか、お話を伺いました。

編集委員

毎年6月1日の『写真の日』の前後に『東京写真月間』が開催されています。2016年の国際展は、『アジアの写真家たち2016モンゴル』がテーマとなりました。期間中は多くのモンゴル人写真家が来日し、都内4か所のギャラリーで写真展やトークショーが行われるなど大盛況でしたが、この国際展の実現には大変なご尽力をされたとお聞きしています。企画段階から関わられたのでしょうか。

清水

東京写真月間の国際展では、これまで『アジアの写真家たち』というシリーズでいろいろな国を取り上げていたので、「モンゴルはいつやるのか?」という話は関係者にずっとしていたんです。それが2,3年経ってようやく実ったということですね。

編集委員

モンゴルをテーマにしてほしいと思ったのはなぜですか。

清水

モンゴル人の写真家って、面白いものを撮るんです。視点が面白いというか。撮り方はシンプルなんだけれど、人として結構攻めるんですよね。怒られなきゃいいやというギリギリのところまで寄って撮ったり、僕らが気づかなかったり忘れているようなピュアな視点から撮っていたりする。だから、彼らの作品をモンゴル国以外の人にも見てもらいたいという思いがありました。

若い世代のモンゴル人写真家が大挙して日本に

編集委員

特別な肩書をもって活動されたのですか。

清水

そういうものはないですね。完全に裏方としてサポートに徹しました。基本的にはボランティアですね。こういう国際展は現地とのパイプ役がいないとできないので、交渉については僕が現地に行ってぜんぶ調整をしていました。

編集委員

どんなところから話を始めたのですか。

清水

まずは、現地でモンゴル写真家協会のトップに会って、こういうことをやりたいと思っているので協力してほしいという話をしました。そのときに、ベテランの写真家はこれまでいろんな国で作品を展示する機会があったけれど、若い人にはチャンスがあまりなかった。これから日本と交流していくのは若い人だから、彼らにチャンスを与えてほしいということも話しました。結果的に、若い人も含めて今モンゴルで活躍してい第一線の写真家が選ばれたのでよかったと思っています。

編集委員

開催期間中は、13人のモンゴル人写真家が来日して、各ギャラリーでトークイベントが開催されて大盛況でした。トークイベントではすべてのギャラリーでホスト役を務められて大忙しでしたね。

清水

例年、国際展で来日するのは2人くらいで、残りの人はデータをもらって終わりなんですけれどね。今年の2月に現地に行ったときに、日本に来るかどうかの最終的な意思確認をメンバーにしたんです。集まったメンバーはみんな行きますと。きっと、1人だけ行かないとは誰も言えずに(笑)。それで、「アジアの写真家たち」シリーズ始まって以来の大人数で来てしまったんですね。みんな日本を見たいという気持ちがあって、家族を連れてきた人もいました。僕がモンゴルに行き始めて来年で20年になるのですが、当時からの仲間がみんな実力をつけて、いろんなことができるようになってきたので、そのへんが面白いところですね。

本当は彼の写真を日本で展示したかった

清水

本当は、今回の国際展にもう1人呼びたかった人がいるんです。それはバトゾリグという写真家なんですけれど。この写真(左)に写っている彼ですね。ちなみに右下に写っている坊主頭は僕です。このとき1か月半くらい田舎で取材していて、帰ってきたら仲間の写真家がみんな坊主になっていたので、じゃあ僕も坊主になっちゃおうって(笑)。

彼は、ロシアのサンクトペテルブルクでジャーナリズムを専攻した、モンゴル唯一のジャーナリストと言ってもいい存在でした。それが2001年1月にヘリコプターの事故で亡くなってしまったんです。彼の写真はすごくよかったんですよ。普通に暮らしている庶民の日常がよく見えていた。素顔のモンゴルを見られる人でした。そういう写真を撮っている人は、当時は珍しかったですね。彼の作品はずっと見たかったなという思いがあります。

彼の仕事は、僕にも大きな影響を与えています。彼が亡くなったときに、彼の写真集を作りたいという話が持ち上がって、彼のネガが僕のところに来たんです。それを僕がプリントしたのですが、その仕事がすごくいいなと思ったんですね。当時、僕は動物を撮っていましたけれども、誰かがこの仕事を続けなくちゃいけないと思って、そういう視点でこつこつと撮り続けた写真が2012年に『CHANGE』という写真集になり、2015年に『New Type』という写真集になったとも言えます。『CHANGE』を作るときには、真っ先に彼の奥さんに伝えました。タブレットを見せながら、こんな感じの写真集を作りたいんだよって。そんな思いもあり、彼の写真を日本で展示してあげられれば良かったのですが。

モンゴル最北の地でトナカイを遊牧する人たち

編集委員

最近、トナカイ遊牧民をテーマに取材を始められているそうですね。トナカイ遊牧民というのはどんな人たちですか。

清水

モンゴル最北部のタイガ(針葉樹林帯)に暮らす人々で、彼らはモンゴル民族ではありません。1932年にモンゴル人民共和国(当時)とトゥバ人民共和国(当時)で国境を画定したときに、「俺らはここに残る」と言って、自らモンゴル側に残った人たちです。トゥバ族と言います。話す言葉もモンゴル語ではなくてトゥバの言葉。住んでいるのもゲルではなくて、オルツという屋根の高いテントです。

編集委員

どうして彼らをテーマにしようとお考えになったのですか。その存在自体は、かなり前からご存じだったのですか。

清水

最初の写真集『CHANGE』の中に、彼らもちょっとだけ入っているんです。魚のイトウの写真を撮りたくて、過去に2回ほどそこへ行ったことがあります。そこへはモンゴル最北の村から馬で行きます。東に住む人たちと西に住む人たちがいて、東は35キロを馬で行きます。ガレ場や湿地帯を越えていくので、平坦な道の35キロとは全然違って大変なんです。西は50キロあって川に落ちることもあるし、雨が降ると斜面がぬかるんで馬が転んだりするんですよね。

編集委員

作品はどんなふうにまとまっていきそうですか。

清水

まだ分からないですね。今ちょっとずつ勉強しつつある感じです。何を撮りたいというよりも、今はその民族はどういうものかを理解する時間になっています。これから何度も行かなければならないですね。そこはモンゴルで一番寒いと言われていて、冬は-50度になるというんです。これはちょっと見てみたいですね。今回のテーマは、きっと冬の写真がベースになると思います。夏は観光客が多すぎるし、ちょっと美しすぎるかもしれない。むしろ過酷な冬のほうがリアルな生活風景が見えるかなという予感があります。

明るい単焦点レンズで彼らのポートレートを撮りたい

編集委員

今年の6月から7月にかけて撮影に行かれたそうですね。トナカイを家畜として遊牧しているというのも驚きなのですが、トナカイはどんな動物ですか。

清水

トナカイっておとなしいんですよ。乗ることもできます。走ると結構早くて、乗っているときに危ないと思って首をつかもうとしたら、首がふにゃふにゃで危うく落ちそうになりました。まずは乗り方をマスターしなくちゃならないですね。トナカイは塩をほしがるので、手を出すとなめてきます。家の周りでトナカイが地面をなめているときは、塩分を与えるために誰かがそこにおしっこしていたりします(笑)。あと、トナカイのミルクが美味いんですよ。そんなに量が出ないので味が濃いのかな。ミルクから乾燥チーズも作るんですけど、それも本当に美味しかったですね。

編集委員

今回の撮影では新発売の25ミリの単焦点レンズ[※]もお持ちになったそうですね。以前から、防塵防滴の単焦点レンズがほしいとおっしゃっていましたが、いかがでしたか。

清水

ベストフィットでしたね。僕は暗いところで光を拾うような撮り方をするのですが、開放値が1.2なので不必要にISO感度を上げなくてすむので本当にありがたいですね。トナカイ遊牧民の撮影でも、オルツのなかは光が入ってこなくて暗いので、そんな環境で撮るには最高ですね。

描写も美しいです。コントラストと柔らかさがうまくバランスしている。ピントを合わせたところはカリッときますし、そこからのボケにつながるところはものすごく柔らかい。僕がイメージしているのは、例えばこういうポートレートです。モンゴルに住むトゥバ族は約30世帯くらいしかいないようなので、このレンズで彼らのポートレートをどんどん撮りたいですね。

M.ZUIKO DIGITAL ED 25mm F1.2 PRO

文:岡野 幸治