「見た人も幸せになる」写真を残したい 清水 哲朗

インタビュー:2014年7月18日/公開日:2014年8月26日

清水 哲朗 Tetsuro Shimizu

写真家・竹内敏信事務所で3年間助手を務めた後、フリーランスとして独立。独自の視点で自然風景からスナップ、ドキュメントまで幅広く撮影する。2005年『路上少年』で第1回名取洋之助写真賞受賞。2012年に15年分のモンゴル取材をまとめた写真集「CHANGE」を発表。2014年、モンゴルでの活動に対して日本写真協会賞新人賞が贈られた。

原始の大地で恐竜の化石を撮影

写真家の清水 哲朗氏はモンゴルの撮影をライフワークとしておられます。広大な場所で多様な被写体にカメラを向ける清水氏の考え方を貫いているものは何か。お話を聞きました。

編集委員

モンゴルの撮影を長期間続けていらっしゃいます。自然、動物、生活など、本当にさまざまな対象を精力的に撮り続けておられます。その原動力は何でしょうか。

清水

モンゴルの取材は初めて訪れた1997年以降、17年間ほぼ休まずに続けてきました。飽きたと感じたことはありません。毎回好奇心をかき立ててくれるものがあって、面白くて仕方がないのです。

モンゴルの国土は日本の4倍あります。南は何もない砂漠のようなところ、西に行けば4000メートルを超える山々、北に行けばタイガの針葉樹林帯。「これを見たい」というのがないと、ただただ圧倒されて、終わってしまいます。

編集委員

最近もモンゴルからお帰りになったばかりとか。あるものを撮るために、半年がかりでリサーチをなさってから現地に向かったそうですね。

清水

モンゴル北部の森に行く予定でした。森にはジャコウジカやオオカミなど、絶滅危惧種をまとめたレッドデータブックに載っているような動物が生息しています。それらを撮ろうと思いまして。

ところが、現地へ入ってみたら、モンゴル人の写真仲間が言うんです。「南ゴビの恐竜化石が発掘された現場すべてをこれから撮りに行く」と。化石は掘り出されたままの状態で、観光化も全くされていない。こんなチャンスはなかなかありません。方向転換することに決め、ほとんどの日程をその撮影に当てました。

この時に撮影した写真の一部を、今回の「PHOTO GALLERY」でご紹介しています。例えば、恐竜の大腿骨の部分を撮った写真。驚いたことに、この化石は全体が露出して風化しているので、モンゴルではもはや価値がないと言うのですよ。日本では考えられないですよね。この辺りは人が住んでいないので、原始の地球がそのまま残っています。むき出しの自然が好きな人にはたまらないと思いますよ。

被写体に向かう姿勢を変えたもの

編集委員

清水先生とモンゴルと言えば、ウランバートルのマンホールで暮らす少年たちを2004~2005年に撮影した『路上少年』の写真[※]は、今も見る者の心を動かさずにはいられません。

清水

最初にモンゴルを訪れた1997年に、とても貧しい子供たちがいるのは見ていたんです。赤ん坊を抱っこして、歌を歌ってお金をもらっている女の子がいました。その歌声がすごく良くて。何より、そういう境遇に負けないで、絶対これを乗り切ってやるという強さを感じました。でも、カメラは向けられなかった。大好きなモンゴルの負の部分を写すことに、ためらいがあったからです。

考え方が変わったのが2004年のことです。日本で「蒙古放浪」という写真展を開き、1日1000人以上の方に来ていただきました。それで、これだけの人に見てもらえるなら、自分の写真で何かを変えられるかもしれない、と。その写真展開催1ヶ月後に娘が生まれ、僕は父親になりました。「自分の子どもだけではなく、ほかの子も幸せになってほしい、ゆっくり眠れるような生活をしてもらいたい」。そんな親心が芽生えてきたことも背景にあると思います。

編集委員

2004年ということは、写真展の後、すぐに撮影に行かれたわけですね。ただ、実際に撮影を始めるには、相当な思い切りが必要だったのではないでしょうか。

清水

僕はカメラを向けるまでの時間をとても大切にしています。貧困問題の取材はとてもデリケートなので、行き当たりばったりではなく、安全面も含めたさまざまな確認や彼らとの接触、コミュニケーションを取らねばなりません。それで、最初はカメラを持たずに街中を歩くことから始めたのです。

病院の裏で物乞いして、入院患者が上から投げてくれるものを拾っている子たちがいました。彼らといろんな話をしながら、住んでいるマンホールまで行き、撮影させてもらいました。最初に行ったのは9月。次は1月。1月の気温はマイナス25度くらい。だけど、セントラルヒーティング用の温水パイプが通ったマンホールは、外とは比べ物にならないぐらい暖かいんです。

彼らは、心を開いているようで、開いていない部分もあります。例えば、何気ない会話の中で、カメラの値段の話になると、仲間同士で目配せしている。チャンスがあったら、これを奪ってしまおうぜ、という空気を感じるわけです。だから、帰り道もずっと後ろを振り返りながら歩きました。全体を通して、本当に追い詰められるような取材でした。ただ、ありのままの彼らの姿を誰かが撮らなければならない、そう思っていたので何も怖いものはありませんでした。

『路上少年』は、清水氏のオフィシャルホームページ(http://www.tokyokarasu.net/rojyo.html)で一部の写真を公開しています。

ドキュメンタリーは「殴られるくらいの距離で撮る」

編集委員

カメラに対しては、どのようなこだわりがありますか。

清水

環境の厳しいところでもとにかく写せる、これが第一ですね。モンゴルは、撮影場所によっては冒険とかサバイバルの要素が強くなります。そんな取材なので、カメラのこだわりというよりは、まずはそこへ無事に行って帰ってくることが前提になります。

砂漠では砂嵐が1週間吹き続けることもあります。タイミング次第で弱まる瞬間があるので、そういうときに撮りにいくのですが、それでも想像を超えるような風が吹いてきて、高速シャッターでも砂が流れて写ったりします。でも、こういう悪天候のところにこそドラマがありますね。

ドキュメンタリーを撮るときは、望遠レンズではなくて、広角・標準レンズでグイグイ寄って撮りたいと思っています。望遠を使って写真として美しく撮ることはできるけれど、それは全然ドキュメンタリーという感じがしない。本当に殴られるぐらいの距離で撮るものがドキュメンタリーだと思っています。もちろん、広角・標準のほうが力強いイメージになり、メッセージが強くなるのであれば、それは誰かが勝負しなければいけないし、自分がそういうのをやろうと思ったらやるべきだと考えています。

現地の人たちに残るものを撮りたい

編集委員

これからモンゴルのどういう写真を撮っていきたいですか。

清水

誰のために撮っているかというと、結局は、現地の人たちに残るものを撮りたい。究極的なことかもしれないですが、撮る人も、撮られる人も、それを見た人も幸せになる写真を残したいと思っています。

2012年に、それまでのモンゴル取材をまとめた写真集「CHANGE」を出版しました。この写真集は、デザインから印刷までモンゴルで行いました。やっぱり、自分が撮ってきたものは日本に残すだけじゃなくて、向こうに残すことに意味があると思うし。僕自身は、モンゴルの人も知らないモンゴルの魅力を伝えていかなければいけないなと思っています。

今後ですが、世界的に貴重なユキヒョウの撮影に向けて少しずつ動いています。そもそも僕は最初に、ユキヒョウを撮りたくて、モンゴルに来ました。最近は、各国の研究チームが来て、首輪の付いたユキヒョウの写真も撮られ始めているようですが、僕はそういうのではなくて、ありのままを撮りたいと思っているので…。最後の大仕事はそこになると思います。