日常を取り戻しつつある北上とともに歩む清水 哲朗

インタビュー:2018年6月13日/公開日:2018年8月17日

清水 哲朗 Tetsuro Shimizu

写真家・竹内敏信事務所で3年間助手を務めた後、フリーランスとして独立。独自の視点で自然風景からスナップ、ドキュメントまで幅広く撮影する。2005年『路上少年』で第1回名取洋之助写真賞受賞。2012年、写真集『CHANGE』をモンゴルで上梓。2014年、日本写真協会賞新人賞受賞。写真集『New Type』で、2016年さがみはら写真新人奨励賞を受賞。最新刊は『うまたび~モンゴルを20年間取材した写真家の記録~』(玄光社)

被災地で写真家ができること

写真家・清水哲朗氏と北上(宮城県石巻市)とのかかわりは20年以上になります。北上は2011年の東日本大震災で大きな被害を受けましたが、清水氏はその後も北上に通い続け、2016年には北上にゆかりのある写真家と地元のアマチュアカメラマンの作品を集めた写真集『北上川河口物語 未来へのメッセージ』を上梓しました。今回のインタビューでは、震災後の北上についてお話をうかがいました。

編集委員

前回、インタビューの後半で、清水さんと北上町(宮城県石巻市)とのかかわりについてうかがいました(『どこかにある「ふるさと」を探して』参照)。今回は、北上の作品を見せていただきながら、じっくりと北上のことをお聞きしたいと思います。まずは、東日本大震災の後、初めて北上に入ったときのことから聞かせてください。

清水

震災から1か月ほどたってようやく連絡がつき、現地に行きました。目的は知り合いの安否確認と物資を届けることでしたが、もう1つ、避難所に花を咲かせようというプロジェクトがありました。避難所になっている体育館は照明が暗いのでずっとそこにいたら気持ちも沈んでしまうだろうと思い、花の写真を飾ろうと計画したんです。写真家として、自分に何ができるだろうと考えてのことです。ただ、僕自身はそんなに花を撮っていなかったので、ツイッターで花の写真を募って、それを何百枚もプリントして持って行きました。現地に行ってみると、「外には行きたくない」「もう海はしばらく見られない」とおっしゃる方も多く、僕が地元の皆さんの目の代わりになって、写真に記録しようと決めました。

編集委員

それもまた、写真家としてやるべきこととお考えになったわけですか。

清水

そうです。ただ、実際のところなかなか撮れないですね。我々写真家がシャッターを押すときは覚悟を決めるときです。そうやって一枚一枚押していきます。だから、そのシャッターを押すことによって抱えるであろうことがいろいろと頭をよぎるんです。住民の方のために記録として撮ってあげたほうがいいと思う一方で、撮ってしまうことによる苦しみみたいなものもある。そこはバランスが非常に難しいなと思いました。

津波を乗り越えて咲いた桜

編集委員

実際に、シャッターを押すのが難しい時期もあったそうですね。

清水

3日ほどたって、それまでは大丈夫だったのに、突然無気力になって、力が入らなくなってしまいました。この状況を抱えることに自分自身が耐えきれなくなってしまったのです。なんか、もう撮らないほうがいいんじゃないかと思ってしまった。まさか自分がそんな状態になるとは思ってもいませんでした。

今のデジタルカメラは、きれいに隅々まで写ります。それに耐えきれなかった。住民の方にしても、そこまではっきり写っていなくてもわかるよ、と言うかもしれない。鮮明に写すとショックが強いけれど、ぼやっとしていると、見る人が想像でピントを合わせてくれる気がして、しばらくはあえてピントをはずして撮りました。そうしたら、足下のツクシとか花とかクモの巣とか、そういうものにピントが合っていました。その写真を見たとき、こういう小さな生きものも津波を乗り越えて生きているんだから、僕自身もやっぱり撮らなきゃいけないと思い直して、またピントを合わせて写真を撮り始めたのです。

編集委員

(このウェブページ末尾の)『Photo Gallery』で公開していただく作品の1枚目は、そのころに撮影したものですか。

清水

そうです。ここは釣石神社です。そのときは、湿地帯のようにぐちゃぐちゃになっていて、近づこうにもなかなか近づけませんでした。周囲は壊滅的な状態だったのですが、そういうなかで桜は生きる強さを見せて、そこだけいつも通りの春が来ていました。桜は枝が折れると花が咲かないと言われるのに、津波で倒されたり、折れてボロボロになっている桜すら咲いていたのです。僕はそこに生きる強さを見て、自分自身も覚悟を決めないといけないと思いました。忘れようと思っても忘れられない桜の1つです。

日常を取り戻すまでの道のり

編集委員

北上の日常をとらえた作品もたくさんあります。

清水

これは女川の法印神楽です。この神楽自体はとても有名で、竹取の翁のような一場面をやっています。赤ちゃんが抱っこされていますけれど、子どもが地域の宝として大切にされているところも伝わるといいなと思います。

神楽は昼間からずっとやっています。仮設の舞台上で演じているのですが、その下を子どもたちがずっと走り回っている。でも、大人はだれ一人怒らないですね。なぜかと言うと、自分たちもそうやって育ってきたから(笑)。夜になると、もっとはっきりした顔立ちの面をつけた人が出てくるのですが、その場面にくるとさっきまで追いかけっこしていた子たちが急に声援を送るんです。どこがヤマ場かよく知ってるんですね。神楽は震災後しばらく中断していたのですが、翌年の秋には復活しました。神楽や祭りが復活するのは、地元にとってうれしいことですね。

編集委員

ヨシの写真もあります。ヨシ原はかなり広いのですか。

清水

北上川の河口、10キロぐらいがヨシ原になっています。過去には『残したい“日本の音風景100選”』にも選ばれましたが、津波で河口から濁流がさかのぼり、ヨシはぜんぶ倒されました。もう再生できないだろうと思うぐらいひどい状況でしたが、幸い、根元のほうが残っていたんですね。年々丈が大きくなり太くなって、今ではすっかり復活しています。

2人写っているうち、身体の大きい人はモンゴル人です。ヨシを使って茅葺き屋根の葺き替えをしている地元企業の職人です。彼は家族みんなで日本に来て、今はもう子どもが4人います。こういう人が日本文化を支えていると思うと、熱いものを感じますね。

僕自身、このあいだワークショップに申し込んで、ヨシ刈りを体験してきました。この写真と同じように自分の手でヨシを刈りました。自分で体験すると、これまでとは違う視点が出てくるのが面白いところです。それまで被写体として見ていたものが、1束いくらだろうと商品として見るようになった(笑)。

震災以前も、こんなふうに風景だけではなくて、人と密接にかかわるようなところを写真に残していきたいなと思っていたんです。震災の後、すこしずつこういう撮影を進めています。

かけがえのない写真を地元に残す

編集委員

今回のPhoto Galleryはどういうことを考えて作品をセレクトされたのですか。

清水

被災地を語るとき、当時の状況はどうしても入れたくなってしまうし、被災前の写真も入れたくなるけれど、住民が前を向いているのだから、僕が振り返る必要はないと思いました。それで1枚目には象徴的な意味で桜の写真を入れましたが、後はそれ以降の写真で構成しています。

編集委員

まだまだ撮りたいものがありますか。

清水

そうですね。釣石神社の階段を御神輿が駆け抜けるらしいです。人が足りなくて震災後はまだやっていないんですね。川には川魚がいるし、昔は蛍もいたらしい。地元の人には当たり前すぎてだれも口に出さないことが、たわいのない話をしているときに出てきたりするので、撮りたいものがどんどん出てきます。

でも、震災直後と比べると、ガツガツとは写真を撮らなくなりました。震災後、ようやく現地と連絡が取れたときに、「清水さんたちが撮ってくれた写真しか残っていない」と言われて、本当に心苦しかったです。そんなにいろいろなイメージを撮っていないという思いがありましたから。震災前に撮れなかったものを撮って、すこしでも挽回したいという気持ちが強く、いろんなものを撮るために通いました。

地元の方は、最初は震災前や震災直後の写真を見たいとはぜんぜん思わなかったのですが、3年ほどたって「あのときの写真を見せてほしい」と言われました。それから、僕がプリントした写真のファイルが避難所や仮設住宅を回りました。当時は理解されなかった震災直後の写真が、数年たったときに「やっぱり撮っておいてくれてよかった」「記録してもらっていてよかった」と言われました。「この桜には勇気をもらった」と未だに言ってもらうこともあります。あのとき逃げずに撮ってよかったなと思います。

『北上川河口物語』は、思い出の写真が流された人たちにとって大事な1冊になっています。これまでお世話になったことに対して、写真を通じてすこしずつ感謝の気持ちを返せているかなと思うし、今後もそうしていきたいと思っています。

文:岡野 幸治