旅で出合った生命の輝きとそのうねり佐藤 岳彦

インタビュー:2020年02月21日/公開日:2021年1月12日

佐藤 岳彦 Takehiko Sato

1983年 宮城県生まれ。大学院(森林動物学)中退後、写真の道へ。身近な自然から熱帯のジャングルまで、日本や世界を旅しながら生命をみつめている。2015年に『生命の森 明治神宮』(講談社)、2017年に『変形菌』(技術評論社)、2018年に『密怪生命』(講談社)を出版。2018年、日本写真協会新人賞を受賞。2019年、ドイツの国際写真賞 Horizonte International Photo Award を受賞。オリンパスギャラリー東京で、佐藤 岳彦 写真展『裸足の蛇』を開催。会期:2021年1月7日~18日(1/12火&1/13水は休館日)

「裸足の蛇」が表現する生命観

写真家・佐藤岳彦氏の写真展「裸足の蛇」がオリンパスギャラリー東京で開催され、同名の写真集も発行予定です。日本、アジア、南米、オセアニアの島などで撮影した作品は不思議なうねりを生み出し、自然に分け入ってさまよっているような感覚を呼び起こします。独自の生命観を提示する作品群はどのようにして生まれたのか、お話をうかがいました。

編集委員

写真展にも写真集にも「裸足の蛇」という共通のタイトルが付けられるとお聞きしています。どのような世界が表現されるのでしょうか。

佐藤

世界を旅する中で感じてきた「生命のうねり」のような写真群です。アメーバや菌、蟲、獣、人、魚、蛇、川、血、細胞、海、森、大地……。出合った点と点だったものたちが、つらなり、川となって流れ込んでくる感覚や体験をベースに編んできたものです。

編集委員

「裸足の蛇」というタイトルには、どういう思いが込められているのですか。

佐藤

裸足の蛇は、基本的には僕のことです。物事に迫っていくときや、密林に分け入っていくとき、僕の視線はいつも低くて、妖しくて、地面を這いまわる蛇のようです。もう1つ表したかったのは自然を味わうときに大切にしている感覚です。

裸足で川や海に入るときの素の感覚のようなものです。もちろん蛇には足はないんですけれど、そんな思いを重ねて「裸足の蛇」というタイトルにしました。

川に生命の大きな流れを感じる

編集委員

「裸足の蛇」を構成する21作品をこのウェブページのPhoto Galleryで公開していただいています。最初の波の写真は、きれいな青が印象的です。

佐藤

これは波の写真でもあるのですが、生命の写真でもあるんです。ある夜、海へ行くと、押し寄せる波が青く光っていました。その正体は、夜光虫という発光するプランクトンで、波の刺激に反応し、波の動きに合わせて光っています。闇の中で、幾重にも迫ってくる波の光は、海の鼓動のようにも感じました。

編集委員

さらに、不思議なイメージが続きます。

佐藤

これはロシア上空から撮った川です。凍てつく大地の広がりの中で蛇行するその様は、寄生虫のようにも、蛇のうねりのようにも見え、スケール感が消失していく。大きさにとらわれないうねりは、写真全体を貫き流れる象徴的なうねりでもあるように思います。

編集委員

川は、この後も何度か出てきますね。

佐藤

上空や岸から捉えた川もありますが、泳ぎながら撮った川もあります。渓流できらめく無数の気泡たちは、細胞のようでもあり、どこか体内や血流に潜っているような感覚を覚えます。そんなイメージは自由に垣根を飛び越え、変形菌やカビの球体へと重なっていきます。

新しい感覚が自分の中に生まれてきた

編集委員

これまでは生命の姿を高精細に表現した作品が高く評価されてきましたが、今回はフォーカスが外れていたり、ぱっと見では何が写っているのかよく分からなかったりする作品もあります。どういう変化があったのでしょうか。

佐藤

写真をはじめた頃は、生命のまとう気配や秘めた魅力を最大限に引き出したいと思っていました。感覚的にも技術的にもそのことを追求し、心の底から夢中になって撮影していました。

そうすることでしか捉えられないものがあるのも確かですが、いつしか、そんな写真に疑問も感じるようになっていきました。

そこには自分が見ている世界の広がりのほんの一面しか写っていない。大切なもろもろがこぼれ落ちていると感じるようになったのです。それからは、写真を撮るのが苦しくなりました。

撮りたいものたちが靄の中に隠れて思うように撮れない。そんな状態でもがき続けるうちに、世界の捉え方が少しずつ変化していきました。

編集委員

きっかけになるような出来事があったのですか。

佐藤

さまざまな揺さぶられる体験がありました。中でも強烈だったのが、数年前のパプアニューギニアの旅。世界最大の蝶・アレキサンドラトリバネアゲハを追い求めて、自給自足の村で1か月くらい村人と共に生活をした時のことです。

毎日タロイモを食べて、たまに蛇やトカゲ、ネズミ、カタツムリなんかを捕まえてたんぱく質を補給するような生活。一日中ジャングルを歩き回って、夜はへとへとになって寝ていると、酋長が太鼓を叩きながら、踊りの誘いにくる。

マラリアを媒介するハマダラカが飛び交う中で、土を踏み鳴らし、ひたすら踊り続ける。呼吸が荒くなり、汗だくになって、闇の中に意識が離れていく。

そんなパプアでの日々の中で感じたのが、今まで断片的な点と点だったものたちが、線としてつながっていくような感覚でした。

あとは釣りでの体験も響いていると思います。僕の故郷は海に近かったので、子どもの頃からよく釣りに行って、自分で絞めて、捌いて、食べていたんです。

今でも日常の中で、旅先で、よく釣りをします。狩りや山菜、キノコ採りも同じなのですが、僕にとって釣りは、命をいただくことを自分の「生」の中に取れ入れることです。

それは、被写体でもある生命を体内に取り入れることでもあり、撮って、獲って、摂ることが結びついていくことでもあります。

そんな行為の中で生命の流れのようなものが、頭ではなく体感として僕の内部に蓄積されてきたような気がします。

写真展だからできる表現の可能性

編集委員

「裸足の蛇」写真展は、どのような展示になりますか。

佐藤

生命世界のカオスな広がりと、自分の中に流れ込んでくるうねりを軸に構成を練ってきました。混沌とした自然を混沌のまま受け止め、反芻し、再構築する。

一枚一枚でみせていくと同時に、壁全体で世界と向き合えるような展示を目指しました。写真展は、自由に行ったり来たりして何度も写真を見返して咀嚼できる。それは実際の自然の中を歩き回る感覚に似ているかもしれません。

僕が生命世界を縦横無尽に旅したように、訪れた人にも写真展という森を裸足の蛇となって這いまわってもらえたらと思っています。

文:岡野 幸治