1つのテーマを長く撮り続ける理由 山岸 伸

インタビュー:2018年1月9日/公開日:2018年3月14日

山岸 伸 Shin Yamagishi

タレント、アイドル、俳優、女優などのポートレート撮影を中心に活躍。ここ10年ほどは、ばんえい競馬、賀茂別雷神社(上賀茂神社)、球体関節人形などにも撮影対象を広げる。その秀逸な写真活動により平成28年日本写真協会作家賞を受賞。2018年3月16日〜3月21日にオリンパスギャラリー東京、同年3月30日〜4月5日にオリンパスギャラリー大阪で『山岸 伸 写真展 瞬間の顔 Vol.10』を開催。ギャラリーに隣接するクリエイティブウォールでは『山岸 伸 写真展 靖國の桜』を同時開催。

10年以上続くばんえい競馬の撮影

女性ポートレートやグラビアで活躍するカメラマン・山岸伸氏は、ほかにもいくつかのテーマを同時進行で撮影しています。各テーマの撮影は長期にわたることが多く、長いものは10年を超えます。どうしてそんなに長く撮り続けるのか、そうすることで何が変わってくるのか。山岸伸写真事務所のギャラリーでお話をうかがいました。

編集委員

北海道帯広市のばんえい競馬を撮影されるようになって、もう10年以上ですね。いまは帯広の観光資源の1つでもあり、売り上げも過去最高を記録するほど活況を呈していますが、撮影を始めたころは存亡の危機に立たされていたそうですね。

山岸

僕が撮り始めて1年経ったころ、存続が危ぶまれるようになりました。ばんえい競馬は地方競馬の1つで、北海道では北見、岩見沢、旭川、帯広の4市で開催されていました。そのうち3市はこの時期に撤退し、帯広だけが続けることにした。その決定のおかげで今日があるわけです。

編集委員

当時はどんなようすだったのですか。

山岸

撮り始めたころは、カメラマンなんてほとんどだれもいない。僕以外は、新聞社がこれからつぶれるだろうという方向の取材に来ていたくらいです。あの頃、将来に希望を感じながら写真を撮っていたのは僕だけじゃないかなと思います。

編集委員

これから復興していくだろうと見ていたわけですか。

山岸

いや、そんな大それたことじゃなくてね。ちょうどそのころ、自分が病気になってすぐだったので、馬の生命力、エネルギー、勇気とか希望、そんなものがほしくてずいぶん通ったんです。競馬場はとても静かでした。レースとレースの間には30分の時間が空く。馬はどんどん走るけれど、周りにはだれもいない。孤独な中で自分の人生とかいろいろなことを考えながらシャッターを押していた。そんなことができるところは、ほかにはなかったですね。

※ばんえい競馬では、騎手はそりに乗る。コースは200メートルの直線。途中には2か所の山(障害)が設けられ、馬はそれらを乗り越えてゴールする。そりには470〜1000キロの重りが載せられ、馬は途中で立ち止まることもある。馬はサラブレッドのおよそ2倍の体重を持つ『ばんえい馬』が使われる。

編集委員

最初からこんなに長く撮ることになるという予感があったのですか。

山岸

それは全然ないです。もともと自分で求めて行ったのではなくて、人に紹介してもらった。それでぶらっと行ってみたら、すごく自分がいやすい環境だったということです。ただ、いったん通い始めると長くなる。それは僕のクセかもしれない。そうなったら、もうよそは見ません。中山競馬場にちょっと撮影に行ったときに、スタンドの上からサラブレッドが走っている姿を見たら、ものすごくきれいだった。もし本格的に写真を撮ったら、これはいいだろうと思う。けれども、やっぱり僕はばんえい競馬しか撮らないです。

期せずして始まった台北賓館の撮影

編集委員

こんなに長く撮り続けているものが、偶然のように始まったのは不思議な気もします。

山岸

僕はずっとカメラマンとして女性を撮り続けてきた。だけど、この歳になって、ばんえい競馬を撮ったり京都の賀茂別雷神社(上賀茂神社)を撮ったりと、写真家と言われることに近いことをやり始めた。でも、そのきっかけはいつも自分がどうしてもそこを撮りたいということではなくて、撮ってみますかと言われて行ってみるということです。

ただ、純粋に自分で撮りたいと思ったものが1つだけあって、それは前回のインタビューでお話しした台湾の龍山寺。これは自分で初めて撮影許可を取って撮影した。通っているうちに台湾に知り合いが増えて、一度台湾の外交部に挨拶に行った。そうしたら、台北賓館を撮ってみないかと言われた。今はその撮影にすっかりハマっています。

※『台北賓館』は、日本統治時代の1899年に起工、1901年に完成した。設計は福田東吾、野村一郎。後の改修工事に森山松之助が参画。台湾総督の官邸であるとともに迎賓館としても使用され、皇太子時代の昭和天皇をはじめ、数々の要人が宿泊した。

編集委員

もう、5,6回は撮影に行かれているそうですね。

山岸

最初は何の予備知識もなく行きました。だから、本当なら1回で終わりそうなことが、5,6回かかっている(笑)。実際にそこに行ってみて、自分の目で見ていいなと思わないと始まらないんです。聞いてみると、過去に有名な建築写真家が来て外観を撮ったことはあるけれど、内部を撮った日本人写真家はいないらしい。僕は外よりも中に興味があるんです。昭和天皇が皇太子時代にここに泊まられたとか思うと、やっぱり見方が変わってくるじゃないですか。部屋は17あって、すべてにデザインが異なる暖炉が付いています。壁はぜんぶ漆喰(しっくい)。当時、ものすごくお金をかけて作ったものだと思います。撮影した中には、一般には公開していない場所もあり、館長いわく「日本人のカメラマンでこれを撮ったのは山岸さんだけ」だそうです。

編集委員

そんな特別待遇をしてもらえるのはどうしてですか。

山岸

最初の撮影で大汗をかきながら助手と2人で走るように写真を撮りました。昼飯はどうしますかって聞かれたけど、時間がもったいないから食べないと。僕は別にポーズでそうしたわけじゃなくて、2日間でこれを撮り切るには、休んでいる暇はないと思ったわけです。それを館長はずっと見ていた。それでこの人にはもっと撮らせたいと思ったんだろうね。初日は通り一遍の対応だったけれど、2日目は閉ざされていた部屋の鍵も開けてくれて、扱いが全然違ってきた。

これは台北賓館の写真をプリントしたものです。最近プリントにすごくお金をかけているんですよ。どんなに画面がきれいなノートパソコンを持って行って写真を見せても、しょせんはパソコンなので感動が薄いんです。だけどこれを持っていくと、感動してくれる。パソコンで見せると「データちょうだい」なんて簡単に言われちゃうけど、このプリントは簡単にちょうだいとは言わないですね。

撮影の終止符は人とのつながりが終わるとき

編集委員

長い間1つの場所に通っていて、撮りたいイメージはどんどん出てくるものですか。

山岸

それは出てきます。たとえば、ばんえい競馬なら朝の調教が5時ころに始まって8時に終わる。次の撮影開始が午後3時だったら、それまでの間はほかに撮るところがないか探していますから。ただ、長く撮っていても必ず終わりは来ます。だから、終わり方というのは考えておかなければならない。

編集委員

どうなったら、撮影に決着を付けるのですか。

山岸

僕は人とのつながりで撮っているから、その人がいなくなったら終わりです。ばんえい競馬でも、僕がものすごく好きだった騎手が引退していく。僕をかわいがってくれた人が辞めていく。そうなると、徐々に撮影の頻度が少なくなっていく。これは、もう仕方のないことですね。いま台湾の撮影を焦っているのは、僕によくしてくれている台湾の偉い方が今年7月に定年になるらしいと聞いたから。それまでに撮れるものは全部撮っておきたい。

編集委員

お付き合いのある方が引退しても、また次の人脈が生まれたりはしないですか。

山岸

それはないね、俺の性格として。その人でないとダメなんですよ。

『瞬間の顔』の写真展はついに10回目に

編集委員

政治、経済、芸術、スポーツ、エンタテインメントなどの世界で活躍する男性を撮影した写真展『瞬間の顔 Vol.10』が開催されます。こちらもまさに10年単位のお仕事ですね。以前、10回を1つの区切りとして、というお話もされていましたが…。

山岸

ここで止めようかとも思ったんだけど、生きがいがなくなるから、止めないことにした(笑)。本当に10回で終わるつもりで今回頑張ったんだけど、撮っているうちに、新たに撮らないといけない人が出てきたりしている。

編集委員

今回、特に印象的な撮影はありましたか。

山岸

すべての撮影が印象的ですよ。伏見稲荷の宮司様は、撮影によさそうな場所をいろいろ案内してくださって普通はだれも入れない場所からも撮らせてくれた。又吉直樹さんは、前にテレビでご一緒したときは無口な印象だったけれど、写真を撮って見せた瞬間に最高の笑顔で、「いい写真ですね。何に使ってもいいですよ」と言ってくれた。これまでに延べ639組の方に出ていただいているのですが、もう1000人まで行こう、という感じですね(笑)。

文:岡野 幸治