ひっそりと生命が息づく怪しい世界に遊ぶ佐藤 岳彦

インタビュー:2018年7月13日/公開日:2018年9月19日

佐藤 岳彦 Takehiko Sato

1983年生まれ。大学院(森林動物学)中退後、写真家の道へ。身近な自然から熱帯のジャングルまでの幅広いフィールドで、変形菌や昆虫などの小さな生命から大型の哺乳動物、植物まで多様な生命をとらえ続けている。2018年9月には初の単著『密怪生命』(講談社)を上梓。2018年、「圧倒的な画質力、クオリティの高さによる高精細かつ美しい作品群は、従来の野生生物写真の既成概念を打ち破る」として日本写真協会新人賞を受賞。2018年10月5日〜10月10日にオリンパスギャラリー東京、10月26日〜11月8日にオリンパスギャラリー大阪で、佐藤 岳彦 写真展『密怪生命』を開催。

自分にはない可能性を小さな生命に感じる

2018年9月、写真家・佐藤岳彦氏の初の単著『密怪生命』が刊行されます。チョウ、ヘビ、カエルといった小さな生き物から、普通の人は目にとめないような菌類、あるいは大型の哺乳動物や鳥類、そして植物と、さまざまな被写体がこれまでに見たことのない姿を現します。10月には、同じテーマの写真展も開催されます。“密怪生命”という言葉に込められた意味、そして表現していきたい世界についてお話をうかがいました。

編集委員

“密怪生命”というのは初めて聞く言葉です。辞書には載っていない言葉だと思いますが、これにはどのような意味が込められているのですか。

佐藤

僕が撮っている生き物の多くは、皆さんが見過ごしているような小さなものです。そういうものにひっそりと会いに行っているので、“密会”という言葉が頭に浮かびました。ただ、単純に“密会”としたのでは何かが足りない気がしました。自然界には怪しいものがたくさんあって、そこに生命の面白さや奥深さが詰まっていると僕は思っています。そこで“会”を「怪しい」の“怪”に変えて、“密怪生命”という言葉をつくりました。

編集委員

一括りにはできないほど撮影対象が多様です。どんなものと出会ったときにシャッターを押したいと思うのですか。

佐藤

基本的に生き物すべてが好きで、どれもこれも魅力的なので、必然的にいろいろなものを撮ることになります。特にその生命が持つ不思議さや深さ、計り知れないようなものに遭遇したとき、自然と心を惹きつけられます。

例えば、変形菌もそうです。変形菌は植物でも動物でも菌類でもないアメーバの仲間なんですけれど、そこに生命の根源のようなものを感じます。人間ももともとは最初に誕生した原始的な生命から始まっていて、そのDNAが脈々と僕の中にも受け継がれていると思うんです。だからなのか、そういう生き物に自分を見るというか懐かしさのようなものを感じてしまいます。そういう小さなものには僕にはない可能性があるし、能力を身につけています。その不思議な生き様や美しい光沢、見事な造形を見るたび、素直にああすごいなと尊敬に近い念を抱きます。

「僕の撮影に付き合ってくれてありがとう」という気持ち

編集委員

これを撮ると決めたとき、どうやって撮影を進めているのですか。

佐藤

撮りたいものを見つけたときは、まず単純にうれしくなってしまいます。そして、この気品ある姿、あるいはこの怪しい姿をどうやって撮ろうかと悩み始めます。被写体によって大きさが全然違うのですが、その振れ幅が大きければ大きいほど、撮影の感覚とか必要とされるテクニックが多様になってきます。

編集委員

撮影するまでにかなり時間をかけるのですか。

佐藤

ぱっと見ではその良さが僕にもよくわからないものもたくさんあるんですけれど、そういうものもじっくり見ていくと、あるときふと良さが見えてきます。そういうものをなんとかくみ取れるようにしたいと心がけています。でも、さっと逃げてしまうものもたくさんいるので、そのときは瞬間勝負になるし、意外とそっちの方が結果がいいこともあります。

編集委員

被写体の最高の姿を引き出せるように、被写体に話しかけながらじっくり撮影されているような印象があります。

佐藤

虫にしろヘビにしろ、あっちからしたら自分より何十倍も何百倍も大きな人間が近づいてくるのは相当な恐怖だと思うんです。だから、「僕の撮影に付き合ってくれてありがとう」というような感覚はいつもあります。やるからには、そのものの本質とかオーラみたいなものをしっかりと自分の中で解釈して、それをちゃんと撮りたいと思いますね。

矛盾するイメージの中に自然の深みがある

編集委員

ここからは作品を見せていただきながら、お話を進めていきたいと思います。これはまさに怪しい雰囲気の写真ですね。

佐藤

サイチョウの死体の周りをチョウが舞っています。チョウというと皆さんは可憐なものと思っているかもしれませんが、変わったものにもいっぱい寄って来ます。もちろん花にも来ますが、樹液に来たり、動物の糞に来たり、死体に来たりします。何かに踏みつぶされて腐ったサワガニなんか大好きですね。生き物は矛盾するイメージを併せ持っています。チョウの場合はきれいなイメージばかりが表に出ているんですけど、それだけでないところが自然の深みだと思うし、そこに神秘性すら感じます。

編集委員

同じチョウでも、次の作品は一転して鮮やかですね。

佐藤

これはタイで撮りました。何百という数のチョウが集団給水していて、それが一斉に飛び立つ姿を撮っています。そのスケールがあまりに大きくて、目の前のシーンに圧倒されるほどでした。ところが、これがいくら撮っても写真にならない。撮っても撮っても撮れないとはこのことだと思いました。目の前の光景がすごすぎて、写真にすると物足りなさしか残らないんです。飛び上がったチョウの種類や位置関係、ばらけ具合が難しい。2週間通って本当にいいショットというのはこの1枚ぐらいしかありませんでした。しかも、これ、初日に撮った写真なんです(笑)。けど、楽しかったですね。ほんとに2週間、地面に寝そべってずっと同じことをやってました。

編集委員

少年が虫に手を伸ばしているこの写真は、ため息が出るほど幻想的です。

佐藤

飛んでいるのは何だと思いますか?これ、シロアリです。シロアリは一般的には嫌われ者だと思うのですが、『結婚飛行』と呼ばれる神秘的な行動をすることがあります。コロニーから飛び立って、交尾して別のコロニーを作るのですが、その夜は吹雪のように一斉に飛び始めるのです。それを少年たちが食べるために一生懸命獲っています。

編集委員

食べるのですか?

佐藤

そうなんです。そこはやっぱり重要なところですね。人が虫や魚を捕まえて食べることに意味があって、僕らの生活では希薄になりつつある、自然のつながりの中の人を見たような気がします。僕は昔、それほど人を撮りたいと思わなかったのですが、最近はすこし変わってきました。もっと人を撮りたいし、同じ人を撮るのでも僕の見ている世界の中に自然と存在する人を撮りたいですね。

冬虫夏草には生と死が写り込んでいる

編集委員

作品を見せていただくと、なぜか文学作品を読み進めているような心持ちになります。特に、腐敗し、朽ちていくもの、無常を感じさせるイメージに心をとらえられます。

佐藤

自然の写真を撮る人は、生のきらめきに引き寄せられることが多いと思うのですが、もちろん生があれば死があります。自然の中で撮影していて僕が面白いと思うのは、死が当たり前のように転がっていることです。だれも葬式なんかしないから、それこそあからさまに死が転がっているのです。

ただ、そういうものをどう表現するかは難しいところです。その1つの切り口として、朽ちていくものを被写体とすることが考えられます。これはオサムシタケの写真ですが、このキノコはオサムシからしか生えないんです。虫から生えるキノコは冬虫夏草と言って、漢方薬として有名なものもあります。ほかにもハエから生えるハエヤドリタケとか、トンボから生えるヤンマタケとかいろいろな種類があります。

もしこれが図鑑だったら、「アオオサムシから生える冬虫夏草オサムシタケ」という説明が付くところですが、別の視点から見ると、この写真には死んでいるものと生きているものが同時に写り込んでいます。しかも死から生へとつながっている。1つの画面に自然の根本的な流れが入り込んでいるのです。冬虫夏草は見つけるのが大変なのですが、生き物のつながりが見えやすいのと、それぞれがまとっている独特のオーラがある気がして、ついついひいきしてしまいます。

編集委員

写真展でも、今日紹介していただいたような世界を見せていただけるのですか。

佐藤

そうですね。生き物や自然が好きな人だけではなくて、ごく普通に都会に暮らしている人たちに、生命の多様さと不思議さを感じてもらえたらうれしいです。人間はもともと自然の一部なのに、普段の生活の中ではそれをどこかに忘れていると思います。だけど、それをすっかり忘れてしまった人と、たまに思い返す人では、何かをするときにちょっと変わってくるような気がします。

文:岡野 幸治

写真展

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