写真集「クジラの海」撮影エピソード

写真集名:

クジラの海

Living Whales

発行日:1990年5月20日 第1版
発行所:株式会社 小学館

僕が初めてザトウクジラを見たのは、まだ24歳、1974年の南極半島でのことでした。2頭がゆっくりと僕の乗っている船に近づいたかと思うと、ブロー(噴気)を吹き上げたのです。僕の頰にもカメラにも降りかかり、あたりはひどく臭いました。僕はからだが震えるような興奮と感動を覚え、そのとき以来、クジラがもつ不思議な魔力に取り憑かれました。
この写真集は1989年、ハワイ諸島、アラスカ東南部、小笠原諸島で、北太平洋を回遊するザトウクジラを撮影したときのものです。ザトウクジラは夏の間、食べ物が豊富なアラスカ付近で捕食して過ごし、冬の繁殖の季節になると、暖かなハワイ諸島へとやって来て、出産、子育てをします。この期間はほとんど食べることなく、子どもを母乳で育てます。北の海ではまるまるとしていた体も、ハワイではほっそり。そして、夏の訪れとともにまたアラスカへと北上します。
ザトウクジラは体長約15m、体重約40tと、とてつもなく大きな哺乳動物ですが、この巨大なザトウクジラを育てているのは、広大で豊かな海。母なる海への思いを込め、『クジラの海』というタイトルにしました。

青く透きとおるハワイ諸島の海を、ザトウクジラの親子が泳いでいる。

ハワイ諸島の冬から春の終わりにかけては、ザトウクジラの繁殖シーズン。母クジラの真下にぴったりとくっついて、子クジラがせわしなく尾ビレをふりながら泳ぐ姿が見られるようになります。その様子をヘリコプターでホバリングしながら俯瞰撮影したのが、この写真です。
母クジラは10~15分ぐらい潜ると、呼吸するために海面に上がってブワーッとダイナミックなブロー(噴気)を吹き上げますが、子クジラが潜っていられるのは、せいぜい3〜5分間ほど。呼吸しに海面に出ると、フワッとかわいいブローを吹き出します。呼吸に上がる子クジラを、母クジラが見ていることもあります。このとき離れ離れになる以外は、親子はほとんどいつも一緒です。
ザトウクジラを探すときは、海のどこかにブローが上がっていないか双眼鏡で見回すのですが、そう簡単には見つかりません。いかにザトウクジラが巨大であろうと、それほど海は広く、クジラは小さいのです。
暖かく透明なハワイの海。ここで母クジラはほとんど何も食べることなく、子どもに母乳を与えながら成長するのを待ち、春が終わると、豊かな漁場であるアラスカへの数千㎞におよぶ長旅に子クジラとともに出かけるのです。

子クジラが、挨拶するかのようにやって来た。

ゴムボートに乗って双眼鏡で海を見回しながらザトウクジラを探していた僕は、前方にブロー(噴気)が上がったのに気づき、水中マスクとフィンをつけ、音をたてないように注意して、静かに海に滑り込みました。ザトウクジラは音に敏感な動物で、音がすると進路を変えたりするのです。海中の30mほど先に、親子のザトウクジラがいました。子クジラは呼吸するために海面に上がると、すぐ海中に潜り、尾ビレを軽くふって体をクルッとひねると、まっすぐこっちにやって来ました。そして、やや頭を上に向け、斜め上にいる僕を見たのです。生後2カ月ぐらいの子クジラにとって、僕は初めて出会った人間かもしれません。僕たちはしばらく、並走するように一緒に泳ぎました。僕が5mほど潜ると、子クジラも潜ります。海は抜群の透明度で、青くぬけきっていました。

尾ビレの一振りで、すさまじい水圧が押し寄せる。

これは、親子のザトウクジラが海面近くを泳ぎ去っていく後姿を捉えた写真です。太陽の光がきらめいている母クジラの尾ビレは、なんと幅5mほどもあります。ザトウクジラの大きさを実感していただけるのではないでしょうか。クジラの泳ぎはゆったりしているように見えるかもしれませんが、実際にはかなりのスピードです。腰を支点に体に弾みをつけて、巨大な尾ビレを上下にキックさせて泳ぎます。尾ビレの上下は激しい水流を巻き起こし、クジラを前へ進める推進力となります。後ろにいる僕には猛烈な水圧が押し寄せます。それは、体がはじき飛ばされてしまうほどの威力です。ザトウクジラは、本当に大きい! しかし不思議と、怖さを感じることはありません。

海面が突き上げられ、ザトウクジラが大きな口を開けて現れた。

夏のアラスカの海は、ハワイの透きとおった青い海とは違い、緑色に濁っています。それはプランクトンを豊富に含んでいるからです。ザトウクジラの一年分の食べ物が、この海の緑に支えられています。
この写真は、バブル・ネット・フィーディングと呼ばれるザトウクジラ独特の捕食の様子を、ヘリコプターから撮影したものです。ザトウクジラが獲物である小魚の群れのまわりを息を噴き出しながら円を描いて泳ぐと、息はバブル(泡)となって上昇し、海面下に直径30mぐらいの円筒形のバブル・ネット(泡の網)をつくります。小魚の群れは泡の外へと泳ぐことができず、中に閉じ込められてしまいます。そのバブルの円の真下から、突き上げるように現れるザトウクジラ。大きく口を開け、海水ぐるみ一気に獲物を取り込むと、すぐにまた海の中へと消えていきます。
バブル・ネット・フィーディングの撮影は、カンと経験がもろに試されました。ザトウクジラはこちらに都合よく海面に現れてはくれないし、現れてもすぐまた潜ってしまう。アッと思ってカメラを向けると、もういない、なんていうこともしばしばでした。海面にバブルの輪が1つ、2つ、3つと浮上する。その輪の中で魚がピンピンと跳ね出す。ザトウクジラはいったい、どのバブルの輪から現れるのか。さあ、来い。僕は神経を張りつめて待ち構える。そうして撮ったのが、この一枚。ザトウクジラの食事シーンを真上から捉えた、貴重な撮影に成功することができました。