国産顕微鏡100周年に寄せて

「顕微鏡はロマン。歴史に刻まれた情熱、
ユーザーである研究者との出会い、そして開発」

東京・上野の国立科学博物館で2015年3月3日〜4月19日まで開催された「顕微鏡100年展〜世界一に向けた国産顕微鏡のあゆみ〜」。この企画展に際し、顕微鏡開発に長年携わった開発者に特別インタビューを実施しました。


米窪健氏(右から二人目)と、同氏が率いた開発メンバー。
※インタビュー文と写真は、オリンパス広報誌「Social IN Vol.4」より一部再構成したものです。

「"現場100回"、それこそが開発者のあるべき姿です」

米窪 健(よねくぼ けん)

認定NPO法人コアネット 理事 オリンパスOB(元取締役)

1968年オリンパス入社。オリンパス初の蛍光顕微鏡、微分干渉顕微鏡の開発を皮切りに40年近くにわたりオリンパス顕微鏡開発の中核を担う。2005年に退社した後は、オリンパスでの経験を生かして中小企業・ベンチャー企業の支援活動を続けている。

「クラシカルなのに、今の最先端技術を支える重要なツール。
それが、顕微鏡です」

印象に残っている開発はありますか?

米窪:私が入社したのは1968年。当時在籍していた光学設計部には20人ほどしかいませんでした。カメラの設計者が多く、顕微鏡は5人、内視鏡の担当は1人だけ。そんな時代です。
今でも印象に残っているのは、「ノマルスキー微分干渉顕微鏡」の開発です。ドイツのメーカーがそれを売り出し、当時の主流になりつつあった。オリンパスにとって初めての開発でしたので、先輩と一緒に、理論から加工法、評価方法まですべて一から勉強して開発しました。こんな難しい技術開発を入社3年目の私に担当させてくれたのは、驚きでした。あのころは、とにかく人が少なかった(笑)。


入社当時の光学設計部のメンバー19名。現在の10分の1程度の陣容で、顕微鏡の担当はわずか5人だった。

開発した顕微鏡の評判はいかがでしたか?

米窪:自分たちで開発した評価方法だけでは不十分だから、お客様のところに持ち込んで評価してもらいました。最先端の研究をしている先生とコミュニケーションを取らないと良い情報が得られないので、病理学会などに行ったり、論文を調べて興味を持った先生に直接電話をかけて会いに行きました。県庁所在地にある大学は、ほぼすべて回りましたね。内視鏡分野では、当時からドクターとのこういったコミュニケーションを重要視していましたが、顕微鏡分野では、私のコミュニケーション量が一番多かったと思います。

「自分で考えて行動する開発者」は、現在のオリンパスでも受け継がれているスピリットですね。

米窪:顕微鏡開発は、研究的な仕事でありながら事業もやるから、頭が柔軟でないとできない。各人の能力をうまく生かして、チームとして仕事をしていくという素地は、ずっと以前からありました。

顕微鏡が社会に果たす役割とは何でしょう?

米窪:顕微鏡は、古い歴史があってクラシカルなものです。ところがそのクラシカルなものが最先端の医学や科学と結びつく。顕微鏡がなかったら、医学も工業もこんなに進歩していなかったはずです。それは、これからの100年にも同じことがいえると思います。

(文/岡野幸治)