米谷美久が語る開発秘話 セミオリンパスI~ペン、ペンFシリーズ

より満足できる写真が撮影できて、コンパクトで使いやすく、なおかつ安価なカメラをつくりたい。
理想を追い求めるプロセスには、立ちはだかる壁がある。
素材や機構などの「技術の壁」がそのひとつ。
例外を認めようとしない「常識の壁」がもうひとつ。
斬新なアイデアも、夢も、このふたつの壁を乗り越えてこそ現実のものとなる。
大ヒットしたハーフサイズカメラ「ペン」の設計者が開発のフィロソフィーから、製品化までの技と心を語る。

2005年10月29日(土) 日本カメラ博物館講演会より 「オリンパスカメラの歩み」~セミオリンパスIからペン、ペンFシリーズまで~

(企画・編集 オリンパス・ホームページ戦略グループ)


オリンパスペン

米谷 美久(まいたに よしひさ)

1933年1月8日香川県観音寺市生まれ。少年の頃からカメラに親しみ、写真を撮ることが好きだった。大学では機械工学を学ぶ。
1956(昭和31)年にオリンパス光学工業株式会社(現在のオリンパス株式会社)に入社。カメラの設計に従事し、「オリンパスペン」(1959年)、「オリンパスペンF」(1963年)、「オリンパスOM-1」(1973年)、「オリンパスXA」(1979年)など、写真業界に一大ブームを巻き起こし、世界のカメラ史に名を残す数々のカメラ開発に携わってきた。2009年7月没。

顕微鏡作りに始まったオリンパス。
早くからレンズ技術に取り組む。

本日は、おいでくださいましてありがとうございます。この日本カメラ博物館では今、オリンパス展を開いています。開催までは、いろいろと大変だったでしょうが、あらためて関係各位の皆様にお礼申し上げます。
この博物館で開催されるメーカー展などを見て思うことは、それぞれのメーカーにはそれぞれのメーカーのカラーがあるんだな、ということです。オリンパスにもオリンパスのカラーがあるのではないかと思います。ただし、私がオリンパスのカメラ設計に携わったからといって、こういうカラーでやりなさいと、誰からも教えられたことはないし、命令されたこともありません。いつのまにかそうなってしまった。あるいは、私のカラーがオリンパスのカラーになったのかもしれませんが…。オリンパスカラーというものが、あるのではないかと思います。


高千穂製作所

私がカメラ設計に携わったのは、1959年のオリンパス「ペン」から79年の「XA」シリーズまでの約20年間です。今回のお話は、オリンパスカメラの歴史についてということになりますが、本日は、オリンパスカメラの草創期からペンシリーズの終わり「ペンF」までを議題とさせていただきます。次回は「OM」シリーズと「XA」シリーズまでとなります。オリンパスは、顕微鏡を作ろうということから大正時代に始まった会社(当時は高千穂製作所)です。大正時代のことは私は知りませんが、聞くところによりますと、創立者は砂糖の貿易で大儲けして、そのお金をもとに日本での顕微鏡作りを始めたそうです。とはいっても当時の日本に、顕微鏡を作る技術的な歴史はなく、大変苦労したそうです。


オリンパス初の顕微鏡旭号

最初はかっこうだけを真似ることから始めて、技術は東京大学の研究者に教えてもらっていたそうです。そして大正9年には、オリンパス初の顕微鏡を世の中に送り出しています。そのうちに、天皇陛下がオリンパスの顕微鏡を使われるようになられたりして、そろそろ事業の拡大を考えよう、そのためには事業の多角化を、ということになったそうです。顕微鏡からのスタートなので、レンズを専門に作っていました。レンズを使った次の機種は何かというと、カメラだということになったようです。カメラ作りに際しても、レンズ設計から着手しています。つくづく昔の方は偉いと思います。やはりレンズが命ですからね。

どういう商品にするかは
夢やフィロソフィーによって決まる

昭和の初期にはシャッターの開発も始まったそうです。しかし、レンズとシャッターができてもカメラができるわけじゃないですよね。顕微鏡メーカーですから、カメラのことに詳しい人もほしいということで、東大の研究所に「誰かカメラに詳しい人はいないか」と依頼すると、当時学生だった櫻井君が写真が好きだというので、この人に来てもらったそうです。これで初めてカメラを設計できるようになりました。

櫻井榮一が来たのが昭和10年。そこからのスタートです。カメラの良き理解者でした。その結果として、いろいろなカメラが世に出ていったといえます。だいたいモノを作るというのは大変なことでして、簡単なカメラを一機種作るのにも、いろいろな設備投資などを入れると10億円くらいかかるものです。「OM」などは100億円近くかかりました。そのためにさまざまな議論が交わされ、トラブルも起きます。
私など、勝手に「OM」一眼レフを作って、一眼レフカメラの小型化により世界中で売れるようになりました。だから順風満帆なように思われるかもしれませんが、じつは山あり谷ありでした。そういう中をどうやって生き抜くのか…。生き抜いてきた結果が、これらの商品になったのだと思います。

どういう商品を作るのかというのは、皆さんがどういう人生を生きるのかと同じことです。大切なのはビジョンを持つこと。ビジョン、つまり夢を持つこと、さらに言うなら、フィロソフィーを持つことです。このビジョンがあるかないかで、その先が変わります。のほほんと毎日を過ごしていてはいけません。自分の人生をこれからどうするのかと、まず決めることです。そして、決めたところで、そのとおりに動かないのが世の中なんです。小泉総理大臣を見ていても分ります。抵抗勢力というか、壁にぶち当たる。『バカの壁』というベストセラーがありますが、壁はふたつあると思うんです。ひとつは技術の壁、そしてもうひとつは常識の壁。このふたつの壁を乗り越えないと物事は動きません。このふたつの壁を越えることについて、設計者が話すのはちょっとおかしいかもしれませんが、言える範囲でお話ししたいと思います。