米谷美久が語る開発秘話 セミオリンパスI~ペン、ペンFシリーズ

「技術の壁」を超えると
次には「常識の壁」にぶち当たる

ライカの新製品「M3」は、ノブではなくレバーの巻き上げでした。コマ数計は自動復元でふたを開けるとゼロになる。今では当たり前の話だけど、当時の最先端を行くメカニズム。巻き戻しもレバーでした。距離計も交換レンズによって範囲が変わる光枠式とか、とにかく新しい技術をいっぱい入れていました。そんなライカ「M3」を必死に追いかけている時代でした。

だけど人間の知恵というのは、すごいものですよ。たとえば巻き上げに関して、オリンパスも当時取り組んでいたのですが、レバー式巻き上げに切り変えるためには、部品を40点ぐらい換える必要があるんです。そんなにお金をかけられないので、リヤーワインディング方式をとり、ライカのレバーと同じような感覚で、フィルムを巻き取る。このフィルム巻き上げ方式というのは、プラスティックのダイヤルひとつなんです。かたや50点、こちらは1点で、しかもプラスティックだから安いでしょ。後蓋を開けるとゼロに戻るコマ数計の自動復元はあきらめました。

コマ数計に関しても、工場の実習でけっこう大変だということを知っていました。ひとつのつもりがふたつ送っていたり、ぜんぜん送られていなかったり。部品点数は30点くらい。1から36まで全工程を工場でチェックしているんです。何回も何回も大変なお金をかけて。36歯のギアがあって、その上に35歯のプレス加工ギアがある。ひとつひとつ回っていく、36と35だったら目盛がひとつずれる。プレス加工ギアなら力もいらない。2円かそこらでできるし、テストも一切必要ない。歯を組んだら絶対に狂うことはないですから。そういうのを作るとかね、とにかく、レンズに金をかけたばっかりに、他の部分には大変に頭を使いました。そして「ペン」ができあがってくるわけですが、安いカメラを作ろうという最初の思いに向かっていくと、立ちはだかる壁がふたつあるんです。まずひとつは「技術の壁」です。技術の壁というのは、たとえば私が何かを撮ろうと思っても撮れるカメラがない。ないものには、それなりの存在しない理由があるんですよ。非常にお金がかかるとか、技術的に不可能とか、コンパクトに納まらないとかです。そこをあえてとなると、技術の壁を越えないといけない。これが第一の壁です。


オリンパスペン

おかげさまで、技術の壁は何とか乗り越えてきました。新人設計社員の教育用の研究テーマで、誰からも文句を言われず、好きに設計した結果、ひとつの試作品ができた。それを櫻井が見ましてね、「おっ、これ商品にしようよ」っていうんです。普通は、新入社員が研究用に作ったもの見て、商品にしようなどと大胆なことはいわないですよ。だけど、そういうことを平気でやるのがオリンパスなんです。独創のオリンパス!だから胃の中を写すカメラが発想されてできていくんです。それがオリンパスのいいところです。普通なら、売れるとか売れないとか、金がかかり過ぎるとか、いろいろ議論をするのに、そういう過程は一切抜きです。たまたま作った試作品が商品になろうとしている。幸せといえば幸せですよね。トップが商品化するといったが、いざ製品化しようとなると、工場長が「そんなオモチャは俺達は作らん」ってね。営業としても、これまでハーフサイズのカメラはなかったので「市場がないから売れない」と言う。これが第二の壁ですね。常識で考えたら売れない、作れない。工場で作らないというなら外注で作ろうということになりました。そうやってできあがったのが「ペン」の最初なんです。そして売り出してみたらベストセラーですよ。

市場に出たオリンパス「ペン」
撮影現場に出くわしたことも!

当時の各メーカーの生産量は月産数百台程度。200台とか300台とか。それくらいが世の中の平均値です。オリンパスでは「オリンパスワイド」という製品があって、ヒットしていましたから月産1,000台に乗るか乗らないかというくらいでした。1,000台を超えると、やっとベルトコンベアが使えるんです。

オリンパス「ペン」を製作するときの企画会議に出させていただいて、発言の機会がありました。何台売るつもりかと聞かれたんです。当時は日本にある全カメラの総数が700万台、と発表されたばかりだったんです(タンスにしまいこんだカメラも含めて)。だから私はその半分の300万台をハーフに変え、またその半分をオリンパス製ということで150万台と答えましてね。皆は大笑いですよ。結局、その場では破格の月産5,000台でいきましょうということになりました。しかし実際はとても売れて、生産が追いつかないほどになりました。営業からは、いつ製品を持って来てくれるのかと怒られたり。


オリンパスペンS

その後、「ペンS」を作るときには値段を7,000円にしました。以前は作らないといっていた工場長も「私に作らせて下さい」という。やっと社内で認知されたと思いましたね。やっと「常識の壁」を乗り越えられたんです。ひとつには、それを見抜いた上司の力がありました。くわえて、市場に出たこのカメラを買ってくれた多くのユーザーの後押しのおかげです。

当時、カメラの購入者は男性ばかりだったんですよ。98パーセントが男性、女性は2パーセント前後。男というのは機械好きが多いですからね。ハーレーダビットソンに憧れるとかもそうでしょ。だからカメラには操作するところがいっぱいあるほうが良いのですよ。そういう方がカメラらしいと言うのが常識でした。しかし、オリンパスが「ペン」を売り出して1か月がたった頃、通勤の途中に、お母さんが小さな息子を撮影している現場に出くわしたんです。そのカメラが「ペン」でした。自分の設計したカメラが実際に使われているのを見て、それはもう感動でしたよ。しばらく眺めていると、「ちょっと待て、それだとピンボケだよ」とか声をかけたくなる。心配になるんですよね。

よーし、こういう女性が使うカメラを作ろうと思いました。難しい操作は一切なし、ボタンひとつ押すだけでいい、簡単なカメラを作ろう。しかしこの発想も売れているカメラとは相反するものでした。営業の人達は、そんなものはカメラじゃないというんですよ。後で聞いたのですが、支店長会議でも「カメラじゃない」ということだったらしい。営業本部長がじきじきに私のところへ「やめろ」と説得に来たり。まだ入社して3年くらいのときですよ。工場から戻って1年がたったくらいでしたから、若造もいいところです。そんな私のところに来てくれて、私の前に座ってやめろというんですよ。それに対して、私は生意気にひとつひとつ反論していったんです。朝から終業までも。本部長と新入社員では反論してもかないっこありません。このままでは常識の壁に阻まれて実現しないと考えた私は「明日、試作品ができるので、それまで待ってください」と言いました。その日は徹夜でした。そして次の日に見せたんです。営業部長は無言で30分ほどいじりまわして、「よし、米谷いこう!」と言ったんです。まさに君子豹変ですよ。偉いと思いましたね。私がその立場になったら、自分の意見をすぐに変えることができただろうか。なかなかできることではありません。それで作ることになったんです。

未曾有の大ヒット
「ペン」は女性に大人気

最後の企画会議の場で、値段を8,000円にしたいと提案しました。すると営業が1万円だという。私もずいぶんカメラを設計してきましたが、開発側から提出した値段に対して営業が上げてくるなどという例は初めてじゃないかな。そんなカメラはめったにありません。結果は1万円で売り出すことになったのですが、大ベストセラーになりました。

常識の壁を破り、結果的に商品になると、世の中の半分は女性だといって、たちまちベストセラーに。たぶん若い方々でも、自分の家にあった「ペン」に触れたことがあるのではないでしょうか。データによると、「ペンEE」が発売されて女性の購買数が2パーセントから33パーセントにはね上がりました。ちなみに、このカメラ博物館はもともとカメラの検査協会だったんですが、当時の担当者には「オリンパスさん、これはカメラではない。やめておきなさい」と何度もいわれましたよ(笑)。私にしても順風満帆のように見えるかもしれませんが、社内では常にはじかれていたんですよ(笑)。


オリンパスペンEE

会社であれ、夫婦であれ、親子であれ、人生の中には必ずいろんな出来事があります。それを打ち破るにはフィロソフィーと情熱を持つことです。何か新しい試みを実行しようとすると、必ず技術と常識のふたつの壁が立ちはだかります。そのような壁を、ひとつずつ乗り越えて誕生したのが「ペン」というカメラでした。「ペン」シリーズのときは、幸運にも恵まれました。見抜ける上司がいたこと、さらに幸運だったのはユーザーがついて後押ししてくれたことでした。こういう幸運が、第二の壁を破る原動力になってくれたんだと思います。

また、当時はシリーズ化という発想はなくて、少しでもライカに近づこうとする一機種入魂でした。シリーズ化については、口には出さずに頭の中で思っていました。シリーズ化しないと「ペン」は普及しないぞ、とも考えていました。シリーズを全部まとめて出せればいいんですが、設計しているのは私ひとりなので一度にはできません。普通は新型が出ると旧型は消えます。「ペン」の場合は新型が出ても旧型は永遠に消えない。それぞれの機種には役割がある。シリーズですからね。すると各社もハーフサイズカメラのシリーズ化を必死になって追いかけてきました。大ハーフサイズブームになりました。しかしハーフサイズはサブとして位置づけていました。メインカメラは35mmという考えなんです。一眼レフはメインカメラ。だから私の発想としてはハーフサイズの一眼レフはなかったんですが、ブームになるとユーザーからはハーフサイズで一眼レフもほしいという声が上がってきました。