笑って、生きる。─元世界王者が語る、がんと人生

「人生には終わりが来る。でも、それがいつかは誰にもわからない。だったら、笑って前向きに生きたほうがいい」。当時、ミドル級の世界王座は体格差から日本人には難しいといわれていた時代。そんな前人未到の階級だったWBA世界ミドル級でチャンピオンになるという日本人初の快挙を成し遂げた竹原慎二さんは、42歳で膀胱がんと宣告されました。病と向き合った日々、そして今。大きな転機を経て変化した“生き方”を、竹原さんは率直に語ってくれました。

幼少期からの孤独と、ボクシングへの決意

「幼少期はお母ちゃん子で泣き虫でね、母親は夜に働いていたから朝、起きたら家にいないじゃないですか。寂しくてよく泣いていました。」(竹原さん)

小学生になっても相変わらず泣き虫のままだったと語る竹原さん。夜になると兄と二人だけになるアパートは、人の溜まり場になっていったそうです。周囲からは素行が悪いと思われ、孤独を感じることも多かったと話します。

そんな竹原さんはボクシングでチャンピオンになると啖呵を切って、単身で東京へ。「16歳で上京しましたけど、一番きつかったのはホームシックですね。今みたいに携帯がないから電話を掛けるのも小銭を用意して。東京から広島にかけたらすぐ千円くらいなくなっちゃうんですよ。」(竹原さん)

仕事とボクシングの両立もきつかったそうです。それでも「ここで帰ったらダサい、絶対帰れない。」と自分に言い聞かせ、頑張っていたといいます。

世界チャンピオンとして立ったリング、その後の“抜け殻”の日々

1995年、ついに世界チャンピオンに。しかしその頃、すでに左目の視力に異常が出始めていたといいます。「見えづらくなって、試合中に相手の姿が消えるような感覚があった。病院で調べたら“網膜剥離”って。右目も同じようになるかもしれないって言われて、“これじゃあ生きていけない”って本気で思いました。」(竹原さん)

そんな不安を抱えながらも、現役生活を続けていましたが、24歳のときに引退を決意。そこには大きな喪失感が残りました。「ボクシングしかしてこなかったから、“これから俺は何をして生きていけばいいんだ”って、本当にわからなくなりました。」(竹原さん)

その後、タレント活動やボクシングジムの運営など新たな挑戦を重ねていきますが、「心の中ではずっと“抜け殻”みたいな感じでした。」と語ります。

42歳でのがん宣告。絶望と支え続けてくれた人

ゼロスタートだった第二の人生も、紆余曲折を経てバラエティ番組の企画に出演し人気を博していた竹原さん。42歳の時に膀胱がんを告知されると生活は一変します。「先生が“がんの数値が出てるね”って言うから“えっ、どういうことだ?”って。」(竹原さん)

実は体調に違和感があり、何度も通院しては検査を受け続けていましたが、はじめは異常が見つからなかったそうです。「また血尿が出たんで病院に行って、検査したらがんの数値が出ているって言われて。初めは苦笑いしましたが、すぐに絶望感で頭が真っ白になりました。」(竹原さん)

奥さんには「最後は家で」と訴えるほど、病院での生活は精神的にも孤独で辛かったといいます。大きな支えとなったのは奥さんの存在でした。「病気になる前は、喧嘩も多くて正直そんなに仲良くなかったんですよ。でも、料理にも気を遣ってくれて病気になってからはすごく仲良くなった。俺が元気でいられるのは、間違いなく女房のおかげです。」(竹原さん)

“やりたいことリスト”がくれた希望

闘病中、ほかの患者さんのブログなどで励まされていたという竹原さんは、インターネットで見た“やりたいことリスト”を作り始めました。そこには娘さんの卒業式に出るとか、息子さんとお酒飲むといった家族と過ごす人生の目標が綴られていました。

「リストの目標をひとつずつ叶えていくうちに、“まだ死ねないな”って思えるようになったんです。」(竹原さん)

明日を生きる理由が少しずつ増えていく中で、竹原さんは折れた心を立て直し、自らの人生を前向きに生きる姿勢を見出していきました。「東京オリンピックまでは絶対生きよう」と決意したそうです。抗がん剤治療、膀胱の全摘出、人工膀胱の生活――。過酷で孤独な闘病を続ける中で、竹原さんにもうひとつの大きな変化をもたらしました。

「元々、俺はもう本当にネガティブ思考で。手術後は絶望してたんですけど、やることは全部やったし、もうネガティブになっても仕方ない。だから前向きに楽しんで生きないとダメだなって考えが変わりました。」(竹原さん)

支え合いながら生き、未来の夢を追いかける

「最近は病気になった人や、がんになった人から相談されることが多いんです。“何もできないよ”って言うんだけど、話を聞いてあげるだけでホッとするらしいんです。」(竹原さん)

ジムへ相談に来る人には、常に笑顔で前向きであること、食生活に気を遣うこと、体を冷やさないことをアドバイスしているといいます。「ガキの頃は人に迷惑かけていた人生が、相談にのることで恩返しや罪滅ぼしができているのかなと。」(竹原さん)

現在は経営するジム生の育成に取り組みつつ、時には奥さんとゴルフに行ったり、家族で旅行に出かけたりと日々を大切に過ごしています。また「歳を取ると自分で検査に行かないといけないなって思うようになった」とも話し、現在も転移や再発防止のため、血液検査を半年に一回、胃や大腸の内視鏡検査を二年に一回受けるよう心がけていると語りました。

「世の中に絶対っていうのはひとつだけなんですよ。 絶対に人生は終わる、それも突然かもしれない。 だったら、人生前向きに楽しく生きた方がいいなと。そのためにはやっぱり常に笑顔で過ごすことが大事ですね。」(竹原さん)

今も続く“やりたいことリスト”の中には、“自分のジムから日本、世界チャンピオンを出す”という大きな夢もあります。力強く語る竹原慎二さんの表情には、世界を獲ったあの頃から変わらない、持ち前の闘志がありました。

2025年6月の取材に基づき作成しています。患者さんの状態や感じ方、治療内容は個人差があります。診断、治療については医師にご相談ください。

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