米谷美久が語る開発秘話 OM-1~XAシリーズ

開発スタッフが120パーセントの力を発揮するなら「技術の壁」は越えられる。
個性的で面白いアイデアが埋もれてしまわないように「常識の壁」に、ご用心!
つねに、どこにもない理想のカメラ開発を目指してきたエンジニアのフィロソフィーが、
「OM」シリーズを世に送りだし、ケースレスのコンパクトカメラをグッドデザイン大賞に輝かせた。
それは語り継がれる「オリンパスらしい」個性の創造でもあった。

2005年11月26日(土) 日本カメラ博物館講演会より 「オリンパスカメラの歩み」~オリンパスOM-1からXAシリーズまで~

(企画・編集 オリンパス・ホームページ戦略グループ)


OM-1

米谷 美久(まいたに よしひさ)

1933年1月8日香川県観音寺市生まれ。少年の頃からカメラに親しみ、写真を撮ることが好きだった。大学では機械工学を学ぶ。
1956(昭和31)年にオリンパス光学工業株式会社(現在のオリンパス株式会社)に入社。カメラの設計に従事し、「オリンパスペン」(1959年)、「オリンパスペンF」(1963年)、「オリンパスOM-1」(1973年)、「オリンパスXA」(1979年)など、写真業界に一大ブームを巻き起こし、世界のカメラ史に名を残す数々のカメラ開発に携わってきた。2009年7月没。

世界初ハーフサイズTTL一眼レフ
「ペンFT」は完成したけれど…

本日は2回目ですが、わざわざおこしいただきましてありがとうございます。1回目は、オリンパスのカメラについて、大正時代から「ペンF」までをお話しました。今回はその後、私が現役で設計した「OM-1」から「OM-4」まで、そして「XA」までを中心にお話させていただきます。

「ペンF」は昭和38年に発売しました。その後、「ペンFT」、「ペンFV」は昭和41年に商品化になりました。それが前回の話の最後でしたね。ちょうどそのころから35mm一眼レフの開発が始まっています。一眼レフというのはボディーができたからといって完成ではありません。交換レンズもあるし、いろいろな付属品もあります。システムを完成するまでかなり時間がかかるんです。


ペン F

昭和41年当時というのは、世界初のハーフサイズTTL一眼レフ「ペンFT」ができた年です。カメラができたというので、お客様からやいのやいのと催促を受けるんですよ。そんなさなかに「おい、35mmの一眼レフを作れ」と言われましてね。私は「ペン」で忙しいからと断ろうとしたのですがね…。


ペン FT

なぜ35mmの一眼レフなのか!当時の日本社会は東京オリンピックの後遺症で少し不況でした。日本国内ではカメラが売れにくくなっていました。すると、海外での販売に力を入れなければいけなくなります。しかし、コダックはハーフサイズに対して「イエス」と言わなかった。フィルムのマウントが倍になってコスト高になってしまうからという理由です。コダックが「ノー」なら、アメリカでは売れません。ドイツやオランダではアグファ社がマウントを作ってくれたので大変売れました。

日本のメーカーは、日本で作ったハーフサイズカメラなのだから、皆でなんとかしようじゃないかという気持ちがあります。それが、日本の工業を発展させてきた原動力みたいなものですね。お互いが助け合う。富士も、コニシも、ハーフサイズでマウントを作ってくれました。アグファも。コダックだけが「ノー」というわけです。従って、アメリカでは売れない。しかし、アメリカへの輸出担当者は、そんなことを言っていられません。ノルマを達成しなければならない。そこで、どうしても35mmの一眼レフがほしいというのです。

「ハーフのオリンパス」が
35mm一眼レフの開発を本格化へ

私の原点は写真を撮ることです。ハーフでも一眼レフでもいい写真が撮れるカメラであればいい。そう思ってきました。35mm一眼レフを作るように言われても、何も私がしなくてもいい。カメラ店に買いに行けば、すでに一眼レフがあるじゃないかと思っていました。

じつはオリンパスでは、「ペン」の全盛期に35mmの一眼レフの開発を進めていました。研究から設計へ、生産間近まで到達していたのですが、ちょうど「ペンF」とかさなり、どちらを優先するかとなると、やはり「ハーフのオリンパス」ですから、「ペンF」を優先させたわけです。

そこで今度は、止まったままの35mmの一眼レフの開発を再開させればいいと思ったわけですが、さー、どうしようかと悩みました。私はもともとライカを使っていて、雑誌に写真が載るくらい撮影することが好きでした。だから何の不自由も感じていないので、私が作る必要はないのではないかと営業の者に話しました。すると「いや、よそにあるのでいいんだ。同じものでいい」という返事でした。私とはまったく反対の考えです。世の中にないから作るというのに、すでにあるものと同じでいい、買ってきてもいい、と言うんですよ(笑)。

しかし、もの作りが非常に重要視されていた高度成長期に入ろうとする時代には考えられないことでした。作るノウハウこそが大変なものだったんです。他社に作らせるとか他社のものを持ってくるというのは、ノウハウの流出につながる。産業スパイが映画の題材になるくらいの時代でしたからね。

だけど営業は「それでけっこう」、むしろその方が話が早くていいと言う。そこで私も言い返しました。ユーザーの一人として、ニコンやペンタックスと同じカメラがオリンパス製品として販売されていたら、どちらを買うか。私なら本家本元の方を買いますよとね。すると営業はそれでもいいと言う。まったく困っちゃいますよね(笑)。