米谷美久が語る開発秘話 OM-1~XAシリーズ

100のアイデアを絞り込むにも
こころして「常識の壁」を超えること

会社にとっては、市場でのシェア率は非常に重要で、それが2%下がったくらいで手を打ったというのは立派だと思うんです。一眼レフはカメラが出来たらそれで終わりじゃなくて、交換レンズをはじめ、全部で285位のシステムを発表していて、まだその半分位しか作ってなくて忙しい時でした。

そんな時に何とか35mmのコンパクトカメラの起死回生をするようなものがほしいというわけです。今までは私が先頭に立って旗を振ってきましたが、後継者の養成もあるので、開発技術者10人のチームを作って状況を伝え、期間を1年設けるから好きな35mmコンパクトカメラを作るように告げました。その一方で私は「OM」を作っていました。あるとき、できたので見てほしいと言われて行ってみると、黒板に100個ほど書かれていました。開発の技術者の集団ですから、そのくらいのアイデアが出て来てもおかしくありません。だけど100個も作る気はないので、もっと絞り込むように言いました。そして何か月か経ったころ、今度は10個に絞りましたという。まだ多い、せいぜい3台までだと言いました。

ちょうど1年が経ったころ、できたので見に来るように呼ばれました。普段、私はあえて顔を出さないようにしていました。するとチームの気持が一つになっていたんです。その頃は、オートフォーカスが導入されたばかりだったのですが、ジャスピンコニカが売り出されたばかり。それを買ってきて、使って写したらこれはいい、是非これを作ろう、ということになったそうなんですよ。

そうすると私のフィロソフィーに反し、買いに行ったら買えるでしょう。後は安売り競争するだけです。そんなカメラなら全員に買ってやるよ、と。一人1個ずつでも総額20万くらいで済むのです。一機種新しく作るのには何億もかかりますからね。それに比べると安いものです。

一年経ってこれではいかんと。それでもともと出ていた100個の提案に戻してもらいました。数を減らすために消していくんですが、その消し方に常識が働いているわけですね。その消している中から少しでもいいのを集めていったら、違う答えが出てきたんです。しかし、それでも私のイメージからはちょっとずれていたので、仕方ないからこれでいくぞ、とまた私から旗を振ってしまいました。

常時携帯できるカメラなら
決定的瞬間をのがすこともないはず


OM-1 カタログ

一眼レフ「OM」は宇宙からバクテリアまで、あらゆるものを撮影できるという思想のもとに生まれました。それでも撮れないものがあるのですよ。たとえば、結婚式の主賓でタキシードを着て、カメラを肩に下げられないですよね。

カメラを持っていないと写らない。いくら宇宙からバクテリアまで全部写せるカメラを作っても、そのカメラを持って行かなければ写りません。ということに気づいたんです。実は昔から気がついていたのですがね。

2年間、工場実習をしたとき、そこは温泉地の諏訪の工場でしたから、公衆温泉浴場が下宿の隣にありました。冬になるとタオルが棒になるくらい寒い地域です。マイナス23度が最低気温。窓も障子も閉めたのに、室内にあった四国のお袋が送ってくれた花瓶が、室内がマイナス23度になったときに凍って割れてしまったほどでした。それほど寒いので、子供にとっては公衆浴場は格好の遊び場でした。寒いから学校が終わるとみんな来るんですよ。なので湯は汚れっぱなし。仕方ないから、会社帰りの湯は諦めて、出社前の朝風呂にしたんです。

その時の話ですけれども、ちょうど長距離トラックの運転手さんが、たまたま温泉地を通ったので一風呂浴びていこうと、トラックを公衆浴場の前に止めて湯に入ってたんですね。私も入ってたんです。それでお風呂から出てきたら、パチパチと音が聞こえる。あれ、おかしいな、と思ったんです。どうもトラックのエンジン部分から火花が飛んでいて、ガソリンだから火がまわるのも早くてね。運転手さんは全裸で飛び出してきました。だけど手のつけようがないんです。その時にね、水もないので消火活動はできないが、決定的瞬間を写すことはできたなと思ったんです。まさかお風呂に行くときにはカメラは持っていきませんから、残念だなと思いました。

いくら宇宙からバクテリアまでを撮れるといっても、カメラを持っていなければお手上げです。どうにかしていつも持っていられるカメラを作りたいなと思ったんです。今なら携帯電話で撮影が出来ますね、こういうものを作りたかったんです。当時はまだデジタルカメラはありません。常時携帯できるカメラを作れないかという思いはずっとありました。「ペン」や「OM」に携わりながらの10年越しの思いでした。

ケースレス、キャップレスなら
胸ポケットに納まるサイズも可能

「OM」が小さいとはいえ一眼レフなので、小型化には限度があります。もっと小さいカメラを作らないといけない。しかし、ハーフザイズの「ペン」を作ったとき、コダックが反対をした話をしましたが、当時は35mmが絶対条件だったので、その中で小さいものを作ろうじゃないかと思いました。

35mmの画面をとって、両側にフィルムを入れるパトローネをつけて、最小限の105mmになるんですけれども、高さの方はファインダーが入るので60~65mmくらいだと。厚さの方はレンズがあります。スプリングカメラでレンズをバチャーンと収納するのがありますね。こうすれば何とかなると。しかし最近はシャッターとメカニズムとが関連することが非常に多いものですから、あんまりレンズを動かしたくない。だから、レンズを固定しておいて短いレンズを使おうと考えました。小さいカメラとして、横100~105mm、高さ60~65mm、厚さは30mm、ちょっとくらい出てもいいと、まずは大きさを決めました。

そこまでやって、それを作り上げるのは大変なんです。なおかつカメラの場合は貴重品なのでケースに入れますね。ケースを作るとお金がかかります。「ペン」のときに初めてソフトケースで作りました。これが非常によいと評判になって、ソニーの携帯ラジオのケースに、オリンパスのソフトケースを使わせてくださいという申し入れがありました。しかし、常時携帯というからにはポケットに入れなきゃいけない。一番小さいのはワイシャツの胸ポケットです。このポケットに入るくらいの大きさにしようじゃないかと発想しました。本当は今の携帯電話くらい小さくしたかったのです。というような発想でケースをなくしました。ケースレスカメラです。

ちょっと話は飛びますが、ケース屋さんが江東区にあって、そこの御曹司が結婚式を挙げるというんです。ケースレスのカメラを発表した2日後くらいが結婚式でして。まだ若造の私でしたが主賓になりました。お客さんは650人くらい。都の議員さんたちがたくさん来ていました。その中で私にスピーチが回ってきたので、実は私は一昨日にケースカメラを発表したばかりで、誠に申し訳ありませんがこれからケースは使いませんと話したんです。

もう一つ気になったのがキャップです。キャップというのはレンズに傷がつかないように、指紋がつかないようにレンズを保護するものですが、これが厄介なんです。なくしたりするんですよ。ケースレス、キャップレス、大きさは胸のポケット。という条件をつけて、常時携帯できるカメラにしようというコンセプトのもと、ソレとばかりに取り組んだのが、「XA」でした。確かにケースはいらない。そういう意味では異色中の異色カメラです。