顕微鏡ミュージアム

オリンパスの歴史の中でひときわ重要な枠割を果たした
顕微鏡の黎明期をご紹介します。

1590 / 1920〜顕微鏡国産化への険しい道程

「顕微鏡」の歴史をひもとくと、その起源はオランダの眼鏡士父子の発明にあります。その後、イギリスやドイツで改良が加えられ発展。日本でも明治時代、顕微鏡は「拡大鏡」として製造、販売されていました。しかし、ヨーロッパの顕微鏡の性能に勝るものはなく、細菌学を研究する当時の学者は、高価な輸入品に頼らざるを得ませんでした。
弊社の創設者、山下は「何とか国産の顕微鏡を作りたい」という夢を抱き、大正8年(1919年)に会社を設立。夢を実現するための挑戦にとりかかりました。それは同時に、山下の「苦節13年」のはじまりでもありました。

1931〜単眼から双眼へ

昭和初期に一通り完成したオリンパス顕微鏡のラインアップ。 昭和5年(1930年)からは、さらなる使いやすさと高性能化をめざし、次のような機能アップとデザインの統一が図られます。

  • 観察位置を探しやすくするための十字動メカニカルステージ
  • 両眼で見る(観察を楽にする)双眼鏡筒(Bi-Ocular)
  • アポクロマート対物レンズの開発による光学性能の向上
  • コンデンサー(集光器)性能の改良
  • 写真撮影の簡便性の向上
  • アーム(鏡柱)形状の統一

1946〜Gシリーズの発売

第二次世界大戦のさなか、戦災を避けるために顕微鏡とカメラの工場を「山紫水明」の地、長野県に移転。一時疎開ということではなく、「新しく恒久的な工場を地方に建設する」という考え方での出発でした。
戦後の混乱期。立ちはだかる多くの問題。中でも、戦禍を受けた幡ヶ谷本社工場の役割を担う長野県伊那工場での「ものづくり」には、さまざまな困難が待ち受けていました。
持ち前の「忍耐力」と「ハングリー精神」でその難題を解決し、伊那の地で、ぞくぞくと新たな復活を果たす戦前モデル。現代の顕微鏡事業の隆盛は、この強い意志が脈々と引き継がれることで獲得したものです。

1972〜多様化する顕微鏡のニーズ

科学や工学など、さまざまな分野の発展にともない、顕微鏡のニーズが多様化。顕微鏡を機能別のユニットに分割することによって、多種多様な要求に応えられるように進化しました。プラットホームとなる本体鏡基は、用途別にAH、BH、CHをシリーズ化。「ユニットを組み合わせて、目的に合った顕微鏡を作る」時代の到来です。

1993〜「Y-Shape」デザインの誕生

顕微鏡の光学性能を決定する対物レンズ。創業以来、このレンズの性能を高めるために、加工法や組立調整法の技術を磨いてきました。一方、多種多様な分野からの要求に応えるため、顕微鏡そのものの設計思想に重点を置いた開発も続けられてきました。
培われたレンズ技術と最先端の設計思想は、「UIS」という新しい光学系のコンセプトを取り入れ、斬新な「Y-Shapeデザイン」の顕微鏡を生み出します。同時に、世界のトップレベルの実力を誇示することに成功しました。

倒立顕微鏡生きた細胞の観察

顕微鏡は、正立型と倒立型に大きく分類されます。倒立顕微鏡は、標本を下面から観察します。鉄鋼などの金属材料の分析や研究のために、戦前から開発、利用されてきました。また、戦後の生物学研究の高度化にともない、「生きた細胞を観察する」という用途にも、倒立顕微鏡が使われはじめました。

実体顕微鏡立体的な観察の実現

人は2つの目でモノを立体的に見ることができます。これを顕微鏡で実現したのが「実体顕微鏡」です。対象物の凹凸や遠近を視認できることから、工場での精密部品の検査や部品組立てなどに活用されています。実体顕微鏡の歴史は古く、初代機の登場は大正13年(1924年)まで遡ります。さらなる使いやすさと高性能を求め、現在も進化が続いています。

定量、計測さまざまな分野への広がり

「見る、診る、記録する」から「計る、測る」へ。
進展する科学界のニーズに応えて、定量化の機能を持つ顕微鏡が生まれます。たとえば「測光、測色」。この「色」情報により、細胞内物質の研究、遺伝子の研究が大きく進みました。この他、液晶テレビで使われる光学フィルターの検査など、さまざまな分野での用途が広がっています。

写真撮影装置観察した画像の記録

顕微鏡で観察した画像を、そのまま写真として記録することは、デジタルカメラの登場で、とても簡単になりました。それまで、観察像の写真を撮ることは、非常に難しく、面倒な作業でした。「フィルムを選んで」「露出時間を決めて」「撮り終えたら現像する」。一連の作業を習得した上で、写真を撮るたびに時間を割かなければなりません。研究者のこうした時間を少しでも減らすため、顕微鏡写真撮影装置も進化を続けてきました。

国産顕微鏡100周年に寄せて